QT殺害された上村遼太さんの通夜をネットユーザーが生配信 警察騒ぎに #ldnews http://t.co/HyzqpEdhs0
— 栗原泉(冬眠はじめました) (@izumillion) 2015, 3月 4
くだんの中学生関連の事案については、その特異性・重大性などから少年法に絡んだ論議が色々と多方面で交わされているけれど、それと合わせて「報道」って何ぞやという話が改めて注目を集めている。この話もそれを裏付ける......というか改めて思わせてくれた指摘。要は関連事案に絡み、一般のネットユーザーが生中継でネット配信をしたところ、警察からツッコミを受けたというもの。
QTしめやかに営まれるはずの通夜の会場前で、10代の少年たちが、ある人物を取り囲んだ。ノートパソコンを首から提げたこの人物は、ネットで動画配信をすることで、ネットユーザーの間では有名な少年だった。通夜の生配信をしていたことに、上村さんの友人らが怒って詰め寄ったわけだ。
— 栗原泉(冬眠はじめました) (@izumillion) 2015, 3月 4
QTこの後、友人らは通夜に訪れた同級生や保護者を取材する報道陣に対し、「かわいそうだろ」と取材相手を帰らせることまで始めた。
— 栗原泉(冬眠はじめました) (@izumillion) 2015, 3月 4
QT前出のネット少年は、Aが逮捕された2月27日にもAの自宅前から生配信。自宅はバレバレで、このときも警察官が「近所迷惑だから撮るのやめてもらっていいですか」とネット少年を注意していた。ネット少年は「報道の自由があるなら僕にもある」と主張。名前や住所を聞かれても「任意なので答え
— 栗原泉(冬眠はじめました) (@izumillion) 2015, 3月 4
報道記者(だけじゃないにしても)、報道関係者の取材に関しては今まで、被害者関係者は不愉快だと思っていても「報道の自由」があるからこそ黙っていた、我慢していたと言う側面はあるだろう。
— 栗原泉(冬眠はじめました) (@izumillion) 2015, 3月 4
ネットで生配信は「報道の自由」ではなく単なる自己承認欲求の充足のためなんだろうし、そういうのに対して「報道の自由」なんて主張を通しちゃいけないんじゃないの。その辺はそろそろ線引きが必要になって来た気がする。
— 栗原泉(冬眠はじめました) (@izumillion) 2015, 3月 4
自己承認欲求を満たすために他者の死やプライバシーを利用してるヤカラにもパソコンやネットを使う自由は保証されてるんだから、そういうおもちゃを正しく使えないようならきちんと線引いて「お前はこっから入るな」ってやらないと、報道記者さん達まで本来の仕事出来なくなるじゃん。
— 栗原泉(冬眠はじめました) (@izumillion) 2015, 3月 4
この辺の話は昨年の御嶽山報道や例の「戦場ジャーナリスト」周りをはじめ、繰り返し伝えてきた、考えてきたことではあるのだれど。インフラやツールの普及浸透高度化に伴い、従来の報道と一般の人たちとの垣根が曖昧になり、区分が難しくなったのが大きな理由だと思う。かつてソニーが業務用のデジタルカメラとほぼ同じ仕様のものを民生用として、個人ベースでも購入が可能な価格で発売した時に、「これなら一般人も新聞の紙面を飾れるような写真を即時伝えることができるようになるよね」と思った時の懸念......というか予想が、何倍にも広がって現実のものとなった感。
そして最後に指摘されている「報道記者さん達まで本来の仕事出来なくなるじゃん」ってのがけっこう重要。「で、仕事って何よ?」ということになる。そもそも線引きが必要なのか、その線引きはどのような事由でなされているのか。その線引きの中に居るとされるものは、内包される部分で守られるのに値するものなのか。そして線引きの際に求められる義務や倫理、責務を、その線の中にいる対象はしっかり守っているのか。
完全に同じだな。
— AQN@ヮ<)ノ◆ (@aqn_) 2015, 3月 5
「報道の自由があるなら僕にもある」というニコ生主の発言、全くもって正論だな。
— AQN@ヮ<)ノ◆ (@aqn_) 2015, 3月 5
報道の自由を掲げるなら、自由の衝突が発生する可能性も当然理解していなくてはならないし、自由というものが無制限に認められるものではない事も理解しているはずで、そこに発生する責任やトラブルを背負う覚悟アリとして扱う事になるわな。
大怪我しても、知らんで。
— タクラミックス (@takuramix) 2015, 3月 5
今件の直接の事案である、一般人による生中継の行為そのものの是非はともかくとして(当方の個人的見解としては「非」を呈しておく)。指摘の通り「自由」を掲げることで生じるさまざまなリスク、責任を負うのも当然の話となる。よく語っている「自由と自由奔放とは別」の観念だね。今件のニコ生主が現場の関係者からツッコミを受けたり、警察に話を聞かれたのも、その責任やトラブルに過ぎない。で、似たようなことは一般報道もしているよね、という話になる。彼らが出来て一般人が出来ないのは不当な特権では無いのかというのも考え方の一つ。
報道は情報を集約し、不特定多数に多種多様な情報を配信する仕事をしているのだから、その過程で「報道の自由」をかざして取材行動をしても良い。その位の権限が無いと、伝播する情報を取得するのは難しい。その為に色々なネットワークを構築し、機材を揃えている。まぁ、特殊技能、情報伝達ツールというステキアイテムを持つ、特権階級、王侯貴族みたいなものだ。
ところが技術の進歩は、その特殊権限の裏付けの一つとなる機材やらネットワークを、不特定多数の一般人が手軽に取得できるような時代にしてしまった。一方で報道に携わる人たちの質の問題や「報道の自由」を盾にした横暴な振る舞いも目に留まるようになった(これもまた技術進歩のたまものではある)。
裸の王様が馬に乗ってあちこちにお触れを出して、高速な情報伝達の特権を得ていたけれど、庶民も馬を有するようになりスピーディな情報のやりとりが容易になって、「王様以外でも情報の伝達ができるようになったよね」「で、やっぱり王様って裸やん?」みたいな話になった次第。
この辺の話は加藤AZUKIセンセが上手く絡めてくれたので、その辺をまとめて。
ノエルの生中継の動画は見たけど、警官は「個人の中継とマスコミ(報道)の中継の違いは、社員証(身分証明)の有無」って言ってたので、身分証明が可能であれば個人でも中継して問題ない、ということになりそうな気がする。
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2015, 3月 5
そして、メディアスクラムを起こすマスコミの「個々の身分証明確認」を警察が都度都度に行っているとは思えないので、「個人によるネット中継を許さず、マスコミによる中継は許される」については、根拠が揺らいでるのは確かな気がする。
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2015, 3月 5
他のメディアがやったことと同じことまでならセーフ、かも RT @ma_china: 遺族の許可なけりゃ駄目だろ_ RT @azukiglg: 身分証明が可能であれば個人でも中継して問題ない、ということになりそうな気がする。
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2015, 3月 5
なので、マスコミは「報道に従事するには公的免許資格が必要」「許認可制」「取材に関わる不法行為によって減点方式のペナルティを課す」「一年ないし二年ごとの資格更新義務」とかを課したらいいと思う。個人でも取得すれば取材中継可能で、取得してなければ違法。
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2015, 3月 5
「テレビ局の社員」と「制作会社の社員」は別だし、「新聞社の社員」と「委託を受けたフリーのカメラマン、ジャーナリスト」は別だけど、「社員証」やそれに準じるものを見せると身分証明になるのって、その取材者個人を「民間企業が証している」にすぎないんだよね。あれ。よく考えてみたら。
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2015, 3月 5
新聞社やテレビ局自身に「取材者の取材行為を正当化する根拠や裏付け」があるかというと、「巨大な印刷工場、配達流通システム、放送設備などの、情報配信資本を持っている」ということが、取材の正当性の根拠根源になってるような気もする。
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2015, 3月 5
確かに以前の時代は、情報を不特定多数に配信するには巨大なシステムを保有していないと無理だった。一個人にできるのは、ガリ版やコピー機でビラ刷って、ポスター貼って立て看立ててメガホンで辻立ちする程度しか方法がなかった。「デモ」だってメディアがリレーしてくれるの前提だし。
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2015, 3月 5
だけど、今はそういう「情報を1からnに配信拡散する」ための情報配信資本みたいなもの、システムみたいなものって、ネットインフラによって共有されていて、その情報拡散コストって非常に安くなってる。中学生がお小遣いでちょっと頑張ればなんとかなる程度には。
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2015, 3月 5
新聞やテレビは情報拡散手段を自前で保有しているから、それが「取材の正当性」の根拠になっていて、ネットインフラを利用した情報配信方法を取る個人はダメだっつーなら、「web展開のみしているデジタルマガジンの記者はどうなの?」ってなる。
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2015, 3月 5
ぶっちゃけ、「ノエルと上杉隆」「ノエルと津田大介」「ノエルと佐々木俊尚」の違いって何よ、てなる。
「かつて商業誌にいた経験がある」とか「知名度がある」が違いなら、新人記者や下請けフリーは記者じゃないのか、とかさ。
闇が広がる(´ω`)
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2015, 3月 5
フリーのビデオジャーナリストだった鴨ちゃんなんかどうなんのよ、と。
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2015, 3月 5
無分別なネット配信、ニコ生中継を是とするわけではないけど、非とするならするで「同じことをやってる既存のマスコミに正当な根拠」が用意できなければ、「無資格な取材者」を規制するのは難しいと思うよ。
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2015, 3月 5
自営業かつ法人格を有さない「フリーランスの下請け記者」が現場に山ほどいる件 RT @sayoka_k: @azukiglg 規模の大小を一切問わず、日本では法人格(相当)の肩書きがあるかないかってのが大きいと常々感じている。
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2015, 3月 5
実話怪談作家なんか、スタイルに差異はあれど、「社員として取材している」わけではなく、個人として体験談を取材して、それを怪談として書いているって点では、「法人に所属しない無資格の取材者」とほとんど違いないんだよね。商業作家なら許されて、アマチュアだと許されない、みたいな線引きもない
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2015, 3月 5
@azukiglg なんか、環境や状況が以前ほどに野放図な取材や報道をゆるさなくなった、つう事で、発する情報の有効性やその向こうにある危険性について認識してる気配を見受けられない、と受け取る側の俺らは感じ取るんだろね。そこに脅威までも感じてるんじゃないだろうか。
— 転倒小心 (@tentousho) 2015, 3月 5
@azukiglg 報道者が扇動者にクラスチェンジしてる、あるいはなっておかしくない状況に陥ってるという危惧に対し、報道者たちはそこに対して身の潔白を明かすことなく日々同じことを繰り返しているようにしか思えなくなってきてる。
— 転倒小心 (@tentousho) 2015, 3月 5
いあー、既存マスコミによる「素人が俺達に縄張りに入り込んでくるんじゃねえ!」は、単純に【既得権益の専有と、ニューカマーの排斥】でいいと思うよ。色々口実が付けられてるだけだよ。 @tentousho
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2015, 3月 5
この辺の話はウェブ系の報道媒体が本格化しはじめた頃から大なり小なり討論されてきた話ではあるし、日本国内に問わず海外でも論議が交わされている。ただ、海外の場合は既存媒体の権威がさほど強くない事、個人ベースでの情報伝達とその個人の信頼性にウェイトが結構大きいこともあり、日本と比べて垣根は随分と低いし、問題周りもスマートな形で進んでいる感はある。
他方、日本国内では例えばヤフーやニコ動のようなポータルサイト内でも既存媒体との違いや差別化に悩んでいる感はあるし、それ故に模索している状況も良くわかる。昨年のヤフー個人ニュースカンファレンスでも、独立ネット系媒体からの代表者と、既存媒体系からの代表者の意識の違いがよくわかる話が出ていたし、ね。
報道におけるツール上での特権が無くなり、内包している構成員の質的劣化が露呈され、個人ではスマホの所有とインフラの普及で報道関係者と何ら変わらない発信力を持つ。昨今の事件や事故において個人が取得した動画や映像について、従来型メディアが取材と称して各情報を取得し、中には規約に反する形で使ってしまう事例もある。
冒頭でも触れたけれど、今件の中学生事案に関しては、少年法の扱いと合わせ、報道とは何ぞや、報道の特権って必要なのか否かまで含め、考える機会を与えてくれることになるのだろうな。
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