@koalaclaw @azukiglg 実際一つ前の世代位からバブルの頃基準で儲け計算をしているから、それ以下になって削れるところは?ってなったのが育成だったり目に見えないところだとは思う 結果二十年近く何でも無料が当たり前なりつつあったりとか
— 黒枷葵@こっそり活動再開 (@kurokaseaoi) 2015, 3月 5
@kurokaseaoi @azukiglg リアタイで無料の時代を見てきた人達もまた老いているわけで、無料か有料かの話もボチボチ難しくはなりましたね。生まれて自意識が発生してから与えられたものが無料だった人々(ありていに言えば平成生まれ)には、そんな理論が発生すること自体が謎。
— 虎荒狗狼 (@koalaclaw) 2015, 3月 5
@koalaclaw @azukiglg 今の場合それこそアプリがゲームが無料で当たり前で必要なら課金すればいいじゃん=元々がそれが有料で作られてるとか中々理解されないですよねと
— 黒枷葵@こっそり活動再開 (@kurokaseaoi) 2015, 3月 5
@kurokaseaoi @azukiglg なので、完全に同世代の人達の間でなければ成り立たなくなった会話というのもあったりして、しかし違う世代も同時に乗っかってるのがwebだったりとか......全体を十把一絡げにはできない状況では確かにありましょうな。
— 虎荒狗狼 (@koalaclaw) 2015, 3月 5
@koalaclaw @azukiglg この辺ばっかりは現場だったり実体験だったりとかでケースバイケースもあるしなあ WEBはそれこそリアルタイムで繋がるようにはなったけど何処まで人同士が繋がれたかという点に関してはやっぱり疑問符が
— 黒枷葵@こっそり活動再開 (@kurokaseaoi) 2015, 3月 5
@kurokaseaoi 理解できない向きには「There ain't no such thing as a free lunch.」とハインラインの言葉を贈りたいぐらいですが、その前提を理解できない世代がSFの中だけでなく現実にも登場したのだなぁと感慨深く思うぐらいですわ......。
— 虎荒狗狼 (@koalaclaw) 2015, 3月 5
@kurokaseaoi いつか呟いたことを思い返しましたが「人間が必要とする以上に人間は技術を発達させたのだ。そして技術を持て余し、技術に弄ばれるのだ」という話に帰結してしまいそうです。市政の人々の脳味噌は技術者が期待するほどに社会適応するには時期尚早なのかと考えてしまいます。
— 虎荒狗狼 (@koalaclaw) 2015, 3月 5
先日の【「報道」のハードルが下がった現状と従来の「報道」が特権を有する理由と】に絡んだ話で、自分自身もまとめて補足して考え直すと、色々と思うところがあるかなあというところではあったんだけど、出張の準備やら何やらで忙しい状況の中、興味深い話が取り交わされ、これは自分自身の考えにもつながる、共通するものがあるし、今後の再検証の際にも必要な話が色々と語られているようなので、ざっとまとめておくことにする。
お金勘定は非常に大切な話で、それ無くてはご飯も食べられないし生活も出来ないし人材も育てられないのだけれど、報道が報道たる意味合い、色々な優遇措置を受けられ特権を得られるのは、そのお金感情の部分では無く、不特定多数に対して実際起きている事象を伝えるという、社会的責務によるもの。それが揺らいでいる、ないがしろにされている、さらには「報道」を名乗っている旧来のグループだけの特別技術で無くなっているからこそ、「報道」の質の低下が叫ばれ、今件のような「境界線なんてないやん?」的な疑問符がバルカンファランクスレベルで投げつけられることになる。
不破さんによるまとめをよみかえしつつ、「スマホとアカウントがあれば、誰でもジャーナリストになれる時代」ってすげーよな、と改めて思う。
結局は、「現場を切り抜く能力」「現場力」とやらは、「その場に居合わせるかどうか(運)」「機材をオペレートする能力があるか」でしかなかったわけで。
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2015, 3月 5
記者というのは現場に展開する「センサー群」でしかなくて、それは「ネットというインフラと、スマホという端末」がばらまかれた結果、記者が記者である必然性を著しく下げた。
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2015, 3月 5
「記事を書く能力」「調べて書く能力」だったら、野良ブロガーwがそこを席巻していて、これまた「プロがプロでなければならない領域」はどんどん狭くなってる。
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2015, 3月 5
@azukiglg 「マス人間ならフォロワー千以下だと転職しろ」を思い出したわ。電子人間がみんな100%金を払ってくれるってんなら、みんなジャーナリストになってウハウハだな。んで、みんなジャーナリストになった後、誰が読者として残るのさとニヨニヨしてしまう。
— 虎荒狗狼 (@koalaclaw) 2015, 3月 5
監視カメラの是非とスマホによる「現場中継」「現場写真の暴露」のときにもこれって話題になってたと思うし、「PhotoshopやInDesignやIllustratorが安くなって、ハイアマチュアがどんどんプロとの差を縮めてきた」って話とも通底するんだよなあ、これ。
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2015, 3月 5
この動き、実はある程度予測は出来たのよね。米で新聞社が不調になり多くの記者が解雇された後、有能な記者は機材を片手に一人で取材をして記事を創り上げ、パーソナル新聞的な形でメディアを形成していった(ブログなどで)。それのハードルがスマホでさらに下がっただけの話。>>公式RT
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 3月 5
だから今件の、中学生事案におけるニコ生「報道」は、その行為の正当性云々は別として(個人的には否定)、エポックメイキング的な事象になると思うのですよ。尖閣映像の問題と同じように。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 3月 5
あー。言葉足らず。行為そのものだけでなく、「一般報道とどこがちゃうねん?」という意図が、実行動と共に明確に不特定多数に周知されたという意味まで含めて。海外ではGoProの普及でその垣根がどんどん低くなってるけれど、日本ではスマホになるのかな......ということで離席。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 3月 5
ハイアマチュアとプロがほとんど同じ程度(品質)の仕事をし、ハイアマチュアは無料。プロは有料。このギャップを、「情報を受け取る側」がどう消化するかというと、「内容が同じならタダか安いほう」に行ってしまう。食えないのでプロは値引きせざるを得ず、プロの品質は一層劣化する。
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2015, 3月 5
@gnewscom @Fuwarin この辺結局 自由だからって事でやってきた歴史+最近の技術発達で一部の優位性が崩れてる中で新しいルール作りなんだろうなあ
— 黒枷葵@こっそり活動再開 (@kurokaseaoi) 2015, 3月 5
ノエルのような「事件現場に実際に行って中継」ってのは過去にもあったような気がするので、ノエルが先駆者ってことはないと思うんだけど、「中学生被害者のところに無関係な中学生」「そのやり取りがライブ中継されたことで、その場に居合わせなかった人々も当事者になる」
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2015, 3月 5
さらにそれをこれまで顧みなかったマスコミが「取り上げて扱う」くらいには、脅威を感じてるちゅーことかもしれない。
はよ免許制にすべき。
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2015, 3月 5
「画面に登場して叱られている人」を見た時、「叱っている側に立つ人」も「叱られている奴を擁護する側に立つ人」も、その場にいないのに、その場にいたのと同じ当事者性を獲得すると思うの。
その「カメラの置かれる位置」が、一歩後ろに下がった感はあって、それが注目を集めたというか。
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2015, 3月 5
マスコミが踏み越えないところまで踏み越えていったことは非難に値するが、同時に「マスコミの後ろ姿を背後から捉えた」ことには称賛や共感が集まってもいる。
では、「どちらに立ったなら許されるのか?」っていう論点も出てくる。
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2015, 3月 5
報道する側が一方的で特権階級的だった、そしてそれに値するだけの技能と環境を持っていた存在から、誰もが持っている技能環境を持つ、ごく普通の存在になってしまった。質が落ちた......というのも最初に触れたお金にウェイトが云々って部分であるのだろうけど、むしろ多くは技術の進歩による相対的な技能・環境格差の縮小にあると思う。この辺りは先日の記事での「馬に乗った裸の王様」や「高解像度の業務用デジカメと同品質の民生用カメラが発売された話」で分かるはず。ヘタすると今や、報道と一般の人の違いは(誰かが指摘していたけれど)「報道」の腕章やネームプレートをつけているか否か位でしかない。
一方で「報道」と呼ばれる人たちは極度に自分達が取材されることを嫌う。同じ事を不特定多数に行うものの、自分がその対象となるのは何故か拒否反応が強い。これは経験則から明らかであるし、実名報道における見解でも何度となく見聞きしている。いわく「報道の自由が侵害、萎縮されるから」というものも一因のようだけれど、それって特権階級認識を自称していることになるだけのような。事案の内容で対象が報道勢となれば、それは報道関係者であろうとなかろうと、取材対象でしかない。
@azukiglg 免許とゆーか業界的にプロマスには取材で許された範囲ってのが一部あったと思うけど、マスが脅威を感じるのは「どこそこに狙いを付けて行け」と派遣される社員が追いつけない、地元民がリアタイで先を越し放送する「情報の新鮮さ」にあるんでないかな。今はそれしか売りが無いし。
— 虎荒狗狼 (@koalaclaw) 2015, 3月 5
@azukiglg 電車の「人身事故なう」や「◯◯町××ビルで火災」などの実況ツイート、その辺りにいる人にとっては非常に有用な情報ですよね。マスメディアでは、こういう細かい範囲のフォローは無理ですし
— えれこみゅ (@elecomu) 2015, 3月 5
@Fuwarin スマホでもデジカメでも(生配信自体機材は安くやろうと思えば8000円位で一式そろえる事が可能です
— 黒枷葵@こっそり活動再開 (@kurokaseaoi) 2015, 3月 5
マスコミ各社は「契約アマチュア記者制」とかどうだろう。事前にそういう実況とか中継とか好きそうなアマチュアユーザーに「事前記者登録」を促すの。スクープ取ってから群がるんでなく。 @koalaclaw
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2015, 3月 5
@azukiglg
その状況でプロの記者達が、溢れる情報から事実を選別して伝えるプロではなく、事態を論評するプロに向かってしまったのが、今のマスコミの問題点。
後者の方が派手で目立つので、気持ちはわからないではないですが、報道のプロと評論のプロは別フィールド。
— 平凡な会社員 (@Ordinary_Man0) 2015, 3月 5
スマホ持ってても、事故映像に眉をひそめるような、或いは自己顕示欲の薄弱な人はスマホを事件時のための実況には使わないけど、友達にも教えたいと考えるような人はチャンスがあれば名を上げたい誘惑が常にあるわけじゃん。 @koalaclaw
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2015, 3月 5
事前登録を促すことで、「まだスクープに巡り合ってないけど、自己顕示欲は先払いで満たせる」とゆー @koalaclaw
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2015, 3月 6
@azukiglg ああ、アレか。ウェザーニュースが成功したのは、早々に「ウェザーリポーター」のボランティア制を採用したトコってアレか。あれは上手いことやったなぁと思うわ。
— 虎荒狗狼 (@koalaclaw) 2015, 3月 6
え。派遣登録だって仕事が発生しないうちはお金出ないじゃんw @kurokaseaoi
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2015, 3月 6
取材については「もはやプロはいない」「紳士協定を守るプロもいない」になってる気はする @Ordinary_Man0
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2015, 3月 6
資格云々に関しては「報道の自由ガー」で猛反発がくるであろうことは容易に想像が出来るし(先日の旅券問題が良い例)、他方で資格免許みたいなものにおける効用を一方的に添付させて他に威光として用いているのが、上記で示した「報道」の腕章なりプレートなり名刺なのではないかな。似たようなものとして「ジャーナリスト」な肩書とか(冷笑)。
一方で一般人に準・登録制ジャーナリストみたいな制度を採用して一定の権限を与えるのは、その権限の乱用リスクと、登録を許諾した側の報道の責任に関して期待が出来ない事(何しろ既存の、社員などへの責任追及もままならないからね)もあり、問題は大きい。やはり個人個人の責任・力量によるところとなるのかな......ということで、上で当方が述べている、アメリカの新聞報道記者の現状のスタイルが見えてくる。その意味で、ウェザーニューズの手法は、その環境が特殊でシステムとして構築しやすかったこととはいえ、斬新には違いない。
あと、昨今の「プロの記者」の記事誤謬の指摘の多さなどを考えるに、「不特定多数の様々な分野について、一人の記者が対応することの限界」はとっくに着ているとは思います。その意味で、プロももう限界。 @Ordinary_Man0
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2015, 3月 6
@azukiglg いまも何処向けに発信してるかわらかず、友達に伝える程度のつもりでwebに事件速報をアップしてる人達が多いっての、あれは資源の無駄遣いだよなぁ。そしてそこに群がるマス素材ハイエナが叩かれるまでがテンプレで。ビッグデータがリアタイで出るようになったら最強だろうな。
— 虎荒狗狼 (@koalaclaw) 2015, 3月 6
実現には細部の詰めが必要だろうけど「スマホ」という端末を名を挙げるために使う衝動にとらわれやすい人を予め囲い込む、てことで。目立ちたい人はいつだって「誰かを出し抜きたい」もので。「@kurokaseaoi
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2015, 3月 6
「マスコミはノエルとは違う!」と言い切れないとこがむしろ問題(´ω`) RT @moke_taro: |ω・)<ただあの言い分は、一見正当性に見えますが、「感情」や「配慮」を失った行為で、やはり子供だな、と。マスコミが同レベルなのは、今更ジローですが
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2015, 3月 6
例えば、最速スクープに金一封、RT数次第で金額上乗せ、でも飛びつく人いると思うよ RT @kurokaseaoi:ボランティアだとお金が発生しないけど、ニコ生とか普通にお金発生するからなあ(ユーチューバーとかもそうだし アマ制度の怖さはやっぱりお金の面もありそうだしなあ
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2015, 3月 6
まあ、「報道の自由」「表現の自由」を脅かすことになりかねないので、実際には実現できない。この矛盾をマスコミ自身も解決できてないから「ネットが悪い」「子供が悪い」になってるんだとは思ってます @kurokaseaoi
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2015, 3月 6
@azukiglg 「誰かを出し抜く」て速報性を求めるのは、実は古い世代かもしれんね。いまは何日後や数万RT後や、それどころかパクツイでも気にせず「これぞ」という情報を広める世代に移行してきている。大勢に注目されたいでなく、身近な世界で話題提供するぐらいが幸せな世代が主流かもね。
— 虎荒狗狼 (@koalaclaw) 2015, 3月 6
バラエティはすでにそうなってる RT @yarakado: @azukiglg 報道もそのうち素人のYoutube素材垂れ流しになるかも、などと思ったり
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2015, 3月 6
「マスコミの背中を報道する者」が求められてきてるんじゃないすかねー RT @moke_taro: |ω・)<本来、マスコミが正しい報道をしてて、ノエルのような者が登場した時に「それはいけない」と言うべきなんですよねぇ
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2015, 3月 6
日本に報道の自由はあるのか? おそらく、ない。しかし特定秘密保護法のせいでも安倍政権のせいでも、ない http://t.co/fndG0mEsFr ゲンダイはないと言ってるので、ノエルの中継は支持すべきてポジションかw
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2015, 3月 6
「マスコミが伝えない真実」的なものでは、被災地でのマスコミの振る舞い、沖縄反基地運動などでのマスコミのフレームの外の映像・写真などが出回るようになってきていて、またそれらは往々にして「マスコミに対して否定的」であったりするとか。
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2015, 3月 6
マスコミを取材した内容をマスコミは報じてくれないけど、ネットは自由に垂れ流せる。
ただ、「マスコミが取材したのではないから信ぴょう性が低い」という見方もされる。
逆に「マスコミではないから信憑性が高い」と諸手を上げて拡散されてしまうケースも有る。
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2015, 3月 6
裏とりと、「取った裏が本当に正しい」を証明することの難しさと、そこまでして取った裏を視聴者は案外見ないという虚しさ(^^;)
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2015, 3月 6
@azukiglg TVの編集と素人のタレ流しと、どっちの情報が正しいかと天秤にかけるようになってきたか......。見も知らぬ遠くの他人の言うことをまるっと信じ込むって意味じゃ、次元は同じなんだけどな。結局「友達の友達が言ったことだから」というレベルから変わってない気はするわw
— 虎荒狗狼 (@koalaclaw) 2015, 3月 6
@azukiglg そもそも、野党が余計な揚げ足取りで自爆して会期の無駄遣いしてなければ、茶番に浪費させられた時間を議論に充てられたわけですし。それを批判出来ないメディアに価値なんて...。
— ◆FFR41Mr146 (@saf_501st) 2015, 3月 6
この辺りは震災後特に、そしてさかのぼればリーマンショックや直近のサブプライムローン問題に始まる金融恐慌、さらにはニュースとエンタメをごちゃごちゃにして受けてしまったニュースステーションの放送辺りからの問題ともいえる。少しずつ問題となる要素は膨らんでいき、複雑化し、さらに巨大化し、お金の要素と絡んで、さらにメディアの進化に伴い一気に表に出てきた感じがする。
無理です。物理的に RT @Ordinary_Man0:同意
ゼネラリストとしての限界を感じた、記者がにわか評論家や思想家もどきに走ってしまうのが、昨今のマスコミ劣化の病根かもしれません。
記者の専門性を強めるのも策かもしれませんが、ルポライターに互してやっていけるかは?です。
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2015, 3月 6
@azukiglg 2ちゃんねるやWiki文化での「名前は出さねえけど持っている知識とスキルはガンガン提供して協力してくれる人々」って構造の、いつの間にか獲得していた厚みにのみ関して言えば既にメディアは敗北してるんよな。単に表出手段や偏りの是正が追い付いてないだけで
— 転倒小心 (@tentousho) 2015, 3月 6
ここも重要。これについてはまた別途。いわゆる「集合知」の問題。それが容易になされる時代となってしまったのも、報道に関する問題の一つ。まぁ、悪用される事例も多々あるし、人は善意にのみ生きるにあらず、さらに個人の善意は必ずしも他人の善意とは限らず、正義の物差しは人によりけりってのがウィークポイントでもあるのだけど。
さて、日本の報道はこの荒波にもまれずにその姿を正しい形で進化させていくことができるのだろうか。
まぁ、楽しければいいじゃんってのも一つの考え方ではあるんだけどね。それってエンタメであって報道じゃない。エンタメを報道のカバーをつけて売るのは産地偽装みたいなもんだ。
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