震災後の燃料不足を救え、ディーゼル機関車の石油輸送作戦が絵本になっていた

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3.11の直後、東北に石油や灯油を届けるために、ディーゼル機関車が活躍したのをご存知ですか? 全国から集められたディーゼル機関車たちが、新潟から福島の郡山へと走ったのです。最初に出発したのが、デーデです。途中、雪でスリップし、立ち往生してしまいます。なんとか郡山に着いたときには、予定の時刻を、3時間過ぎていました。それでも、みんな待っていてくれ、とても喜んでくれました。実話が元になった絵本です。


3.11、東日本大震災で、東北本線、東北新幹線、東北自動車道ともに不通となり、東北への輸送が絶たれました。その時、中越地震を経験していた新潟のJR貨物の方たちを中心に、燃料を届ける取り組みが始まります。電気の通っていない磐越西線を使うため、全国からディーゼル機関車が集められます。また、燃料は横浜の根岸から新潟の貨物ターミナルに運ばれます。運転士さんも急遽ディーゼルを動かす研修をして、震災から2週間、3月26日にディーゼル機関車が10両のタンクをひいて出発したのです。


先日震災から4周年を迎えたこともあり、震災後の話が色々とサルベージされる中で、ちょっと目に留まったお話。北日本の交通網が大きな被害を受け、インフラ周りが絶望的な状況となった際に、JR貨物などが中越地震の経験を活かし、ディーゼル機関車で燃料を北に運ぶ試みが行われたというもの。

当時の政府の体たらくは記録をたどれば山ほど出て来るけれど、それと共に現場で働く人たちの機知による活躍ぶりはあまり伝え知られていない。良い話は人の命を損ないかねない危険性はもたらさない、むしろ命のリスクに影響しうる悪い話の方に聞き耳を立ててて印象を強く抱いてしまう、生き物の生存本能から来る記憶のされ方があるので、仕方がないのだけど。

恥ずかしながら当方も、今件は「そんな話も耳にしたことがある」程度で、このような具体的な話までは知らなかったというのが実情。それだけに、概要を知っただけでも、タイミングも合わせ、色々と思うものがあった。民間伝承と同じように、震災周りの話をこのように、絵本の形で伝えていくってのもアリなのかもしれないなあ......とも思わせる一冊ではある。

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このページは、不破雷蔵が2015年3月12日 07:04に書いた記事です。

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