ふと思った。おれ「他人と繋がってる」タイプのゲームが嫌いだ。対戦とか強力プレイみたいに直接関わるのは良いけど、ネットランキングだとかMMORPGとかソシャゲのフレンドとか、そういう「社会」があるのがダメなんだ。自分より上の人が多すぎて持ってる装備やカードに価値を感じられない。
— ニカイドウレンジ (@R_Nikaido) 2015, 3月 12
ソシャゲでガチャって☆4のカードが出た。喜ぶべきか。否。フレンドを見れば☆5のカードを持っている人はゴロゴロだ。相対的に考えたら今ゲットした☆4のカードはゴミ屑でしかない。そう考えてしまうのは、そのゲームに「社会」があるからだ。シングルゲーなら素直に喜べるのに。
— ニカイドウレンジ (@R_Nikaido) 2015, 3月 12
ソーシャルゲームが流行った最大の理由は、世界観が広がり他人との時間の共有を体感できるから。スタンドアローンゲーム(一人プレイのゲーム)と比べると世界が非常に大きなものとなり、つながりを覚えさせられる。パソコン通信からインターネットへの飛躍みたいな感じ。
でもそれは逆に、価値観の相対性をも生み出す。限られた世界の中では満足のいくポジションにあった、優位性を覚える手元のおもちゃも、広い世界の中ではごく平凡なものでしかない事が分かる。しかもネットだから実世界のような距離感は無く、自分の目の前にそれが実在してしまう。すべてが相対化する、可視化される社会。
クラスで一番だった子供が、大学生になって上京したら、実は平々凡々でしかなかったことに気が付く。その時のショックに似ている。地元にいれば「結構頭の良い人」で通用していたのに、今じゃ単なる「普通の人」。
だからこそネットを早期から利用しているデジタルネイティブな人達は、そのような社会の中で没個性化を見出そうと、炎上騒ぎやコンテンツの盗用を積極的に行うのかもなあ、とも思ったりして。
自分がハマってたソシャゲは、配信開始直後に開始してリセマラで一番良いカードゲットして、スタミナ効率など計算して出来る事を完璧にこなすことで「無課金プレイヤーの中じゃトップクラスだ」と思えたからこそ、楽しかったんだよなあ。社会があると、トップを目指したくなる。逆にトップでないと。
— ニカイドウレンジ (@R_Nikaido) 2015, 3月 12
最近のゲーマーの多くは「繋がり」を求めてゲームをプレイするらしい。ゲーム内で人と繋がれる要素があることがプレイする「最低条件」になってる人も結構多いみたい。で、自分はそれに対してむしろ真逆の感覚を持っていたわけだ。なんだろうこの決定的な違いは。
— ニカイドウレンジ (@R_Nikaido) 2015, 3月 12
...ってなことを、ダーククエスト5をプレイしながら思ったりした。これ非常によくできてると思うのだけどね。ゲットしたカードが「☆2」とかで他人と比較する必要もなくゴミ装備だということが分かってしまってゲンナリしてしまったのだった。
— ニカイドウレンジ (@R_Nikaido) 2015, 3月 12
「井の中の蛙」って幸せなんだよね。大海を知らない。だから自分が最強だって思ってられる。大海を知ったら絶望して希望を失ってしまう。今はネットのせいでいやおうなしに大海を突きつけられる時代になった。そしてその大海がゲームにも浸食してくるし、ゲームエンジンも井の中じゃなくなった。
— ニカイドウレンジ (@R_Nikaido) 2015, 3月 12
つながりを重要視すればそこには価値観の共有が待ち受け、そして相対化が図られていく。競争心が煽られやすくなり、そこにはビジネスが容易に結び付けられる。上手い構造になっているわけだ。
まぁ、つながりそのものを求めて、価値観の共有・相対化に伴う競争心の煽り云々ってのはあまり関係が無いって人も少なからずいるのは確か。「ラグナロク・オンライン」におけるチャット的な使われ方が好例ではある。
ただこの「井の中の蛙でありたい」って価値観は結構重要な指摘かもしれない。その価値観と、ソーシャルゲームが本来有する「価値観の多人数間における共有と相対化」を両立できる仕組みが構築できれば......と思うのだけど。「ねこあつめ」はあるいは、それに近いソフトなのかな?
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