「テレビだったらどうだった?」戦艦武蔵の映像配信で思ったこと、なるほどこれは理解できる

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先日ライブ中継の形で行われた、戦艦武蔵の沈んでいる情景をとらえた映像の公開。高解像度の映像がニコ動やYouTubeでリアルタイムに配信され、それがほぼ同時にテレビでも転送配信されるという、色々な違和感を覚えさせる状況下で行われた。

これについて「既存のメディアが同じような情報展開をするとしたら、ベタで知識も無いコメンテイターの語りがわらわら盛り込まれたり、要らぬテロップが画面を埋め尽くしたり、プッシュしたい新人歌手の歌やえげつない効果音で雰囲気を台無しにされたり、肝心な部分は『特典映像満載のDVD発売予定』なんて形になるんだろう」という指摘が続々ツイッターのタイムライン上などで見受けられた。

多分に揶揄的なところもあるんだろうけど、完全否定できなかったのも事実。先の中学生関連の事件で生中継をして警察のお世話になった人の事案と合わせ、メディアってなんだろう、報道ってなんだろうということを深く考えさせられるものではあった。

それに関して、いくぶん違う部分もあるけれど、大よそ考えていたことをまとめてくれた方がいたので、それを抽出する形で覚え書きとして。


競合相手の登場と価値観、技術の変化に伴い、メディア、報道の定義が大きな変化を遂げている。いわゆる独占的な特権階級としての存在はすでにない。......いや、まだある分野も多分に存在するけれど、それを自ら放り投げている感も否めない。

今件はあくまでも数兆円の資産を持つ漫画レベルのリッチな人による情報配信だったから特異に見えるかもしれないけれど、自然現象や面白映像の類、創意工夫のような話ではすでに個人ベースの情報発信が勝る事例が多々登場している。指摘にもあるように、そして以前言及したように、従来の報道はむしろ今後は、その組織力と経験を活かし、集約する立場に重点を置いた方が、より良いものを作れる気がする。

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このページは、不破雷蔵が2015年3月14日 08:11に書いた記事です。

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