息子の友達には東大生が何人もいるのですが彼らは子ども時代に「勉強ができる」という理由でいじめられた経験があるそうです。「勉強ができる」子どもをいじめる傾向は確かに昔からありますが、とても残念なこと。「勉強ができる」ことは、ほめられることであって、いじめられることではないはずです。
— 内藤みか(作家・脚本家) (@micanaitoh) 2015, 3月 12
あくまでも数例で特殊な例かもしれない......と一時は思ったのだけれど、以前【思いっきり納得のいく考察・「なぜ子供の世界では運動が出来る子がチヤホヤされ、勉強が出来る子はないがしろにされるのか」】でも取り上げたように同じ事案は他にも見聞きされるし、当方も自分自身も含め複数事案を見聞きしているので、特殊なパターンではないのだろうな。
高校生ぐらいになって成績が不特定多数の場に披露されると共に、自分自身の進路にも深くかかわってくるようになると、その傾向は幾分和らぐのだけれど、やはりスポーツが出来る人は持てはやされて、勉強が出来る人は敬遠されたりいじめられる傾向が強い。いじめが物理的な行動であることから、体力のある子供の方が有利ってのも一因だろうし、以前の指摘の通り「勉強はその人本人のみ」「運動は集団全体に影響を及ぼす」ってのもあるんだろう。勉強が出来てもクラス全体を引っ張ることはないけれど、運動が出来るとクラスそのものを底上げする。子供の目からどちらがカッコイイか、どちらが気に食わないかは一目瞭然。
漫画などでのアナログ的描写でも、学級委員のように勉強もスポーツも出来るような万能型をのぞけば、概して勉強が出来る側はいけ好かない、嫌われ者、近寄りがたい、孤立しているというイメージが強い。あれは単にそのようなパターンとしてテンプレ化されているのではなく、多分に見聞きなどで経験したことがあるからなんだろうな。
大本のツイートを確認すれば分かるのだけど、スポーツ同様勉強においても、良い内容であればプラスの評価をすべきであるのは言うまでも無く。そもそも論としていじめを容認する空気自身が問題だと思うのだな。子供の中には「勉強するといじめられるので勉強は嫌い」と考えてしまう場合もあるかもしれない。これは社会的損失に他ならない。まぁ、毎月のように定期試験を行って、その順位が校内に貼りだされるような進学校なら、そんなこともないだろうし、ちゃんと勉強が出来る人は相応の評価も受けるのだろうけれど。
なぜ子供の世界では運動が出来る子がチヤホヤされ、勉強が出来る子はないがしろにされるのか http://t.co/R84YzLJNmI 運動はクラスの利益に貢献するからだそうな。運動会の代わりに算数大会とか...と考えて、「バカとテストと召喚獣」の世界だなと思った。
— なちゅら~る (@naturahl) 2015, 3月 14
挙げられているのはラノベの一作品だけれど、この発想は悪くない。勉学関連の大会ってのも積極的に展開していくのもアリじゃないかな。スポーツで個人の技量の差が出る競技が各種行われ、それは個々の力量の底上げに貢献しているのが認められているのだから、勉強の面でも同じようなものが行われても悪くは無い。
......ってそれは上記に挙げた、進学校などでの定期テストか。
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