「○○オリンピック」みたいなミニチュア版をクラス対抗でやってみるとか。勉強やスポーツだけでなく裁縫や料理や工作などもいけるよね。:勉強が出来るといじめられる事案、そして改善策を模索すると...... http://t.co/Vk9MnWe6A7
— とでん8800 (極悪平和主義者) (@toden8800) 2015, 3月 15
「スポーツは明るい!勉強は根暗!」という先入観も有るような気がしないでもないです(´・ω・`):勉強が出来るといじめられる事案、そして改善策を模索すると...... http://t.co/bJboogsW4m
— Briareos@2d6で自動的s(ry (@briareos) 2015, 3月 15
先日の【勉強が出来るといじめられる事案、そして改善策を模索すると......】の話、後日談。どうやら同じようなことを想っている人、実体験した人などが結構いるようで、色々な話をいただくことができた。スポーツが出来る人がちやほやされるだけでなく、そのちやほや感を受けた上で失敗したら責められた的な話もあり、世の中すべて上手くいくとは限らないのだなという無常さを覚えたものもあったけど(これもまた「損得勘定で動いている」ことの表れでもあるね)。
考え直してみれば確かに、勉強面での競技ってのは、よくて成績発表の類だけ。しかもある程度学校等級が上でないと行われない。勉強系のコンテストやコンクールってのは、部活動ベースで無いと探すのは難しい。学校は勉強をする場所、勉強第一......だからこそ、「当たり前のことをするのに、わざわざ仕組みを設ける必要はない」という判断なのか、あるいは差が出ると平等感云々とかいじめがかんぬんとかいう話なのかな。
でもそれってスポーツでも、その他の行動でも同じだよね。むしろそこで人には差が出るのは当たり前。その上で違いを認識し、認め、蔑まないってのを教える事こそが大切なんじゃないかな。
そして先入観云々ってのは、やっぱりステレオタイプの切り口で表現する各種媒体が原因なんだろうな。学校が係わるお話って、たいていが勉強が出来る人=いけ好かない、あるいは変な奴だもんなあ。スポーツが出来る人はスマートで潔くて、みたいな。
小学生の頃、4人でチームを作って(教師が任意に決める)算数ドリルで満点をとる速さをチームで競ったことがあって(速くとけた人がチームのまだの人に解き方を教える)、その時は頭のいい奴がヒーロー扱いでした
"@gnewscom: pic.twitter.com/ug40sK3MV0
— つるや@なろうにて小説連載中 (@tyurukichi_AA) 2015, 3月 15
集団の団結は戦争>団体ゲーム>個人ゲーム
だからプレイヤー人気もヤンキー>体育会系>ガリ勉 になるのだ。
勉強が「観戦」できればまた違う。だがそれをクイズと呼ぶ...
|勉強が出来るといじめられる事案、そして改善策を模索すると...... http://t.co/EoxCq5NsOW
— ι゛ョェーゥ (@joejoeu) 2015, 3月 15
スポーツができる奴は、その成果に他人を便乗させてくれるけど、勉強ができる奴は、その成果は個人にだけ帰するもので、他人に便乗させてくれないから。
これが「一般人への恩恵がわかりやすい科学技術」だとスポーツ同様にもてはやされるけど、成果が何の役に立つかわからないものはやはり敬遠される
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2015, 3月 15
@azukiglg もっと単純に、力で、暴力で負ける。だけじゃないかなぁ。動物的に。それがなかったら、普通に爪弾きにされると思うけれども。部内の虐めのように。
— うヰるへるむ・わっかかわっかー・三世 (@marman_band) 2015, 3月 15
そういや叔父の名前入り書架が小学校にあった記憶が。昭和30年代の成績優秀表彰だったんだが、こういうのやらなくなったのは日教組のせいかね 「仮に、小学校の時からクラスの学業上のテストの平均点を競わせるような環境が用意されていたら」 http://t.co/Yc5nJSmRHY
— ぽよぽよちゃん。 (@poyopoyochan) 2015, 3月 15
「単純に、力で、暴力で負ける」。実はこれ、先の記事では意図的に抜いていた。実体験をしたことがあるのでよくわかるのだけど、確かにある。すべてではないけれどね。純粋な体力的、力的関係で、勉強周りがスポーツに駆逐されることは良くある。親の立ち位置とかと似たような物。
やはり自分が恩恵にあずかれるか否かってのは要素として大きいよね。加えていうのなら学校や教師が恩恵にあずかれるか否かも。仮に勉強が良くできてもそのクラス、学校内単位であり、そこから出ることは無い。また、クラス内や学校内で優秀な成績を収めても、勉強の場合はあまり評価されない。そういや指摘の通り確かに昔は、成績優秀な子供に対しても色々とプレミアム的なものがあったはずなんだけど(昔の社会文化系の資料をさぐると結構出てくる)、いつの間にか無くなっちゃったな。表彰されない子供がかわいそうとか差別とか言う反発があったってのはちらほら聞いているけれど、やはりその辺が関わっている雰囲気は強い。
別にスポーツや芸術の類をディスるわけではなく。学校で学ぶ対象としては勉強も芸術もスポーツも同じ。評価が与えられるか否かで判断すれば、子供が勉強嫌いになるのも仕方がない。誰だってほめられれば嬉しいし、いじめの要因になるとかマイナスの影響があるのなら避けるのは当然の話。人格形成の大切な時期に、そのような環境下におかれるってのはどうなんだろうねえ......。
勉強するのがスポーツをするのと同じ位楽しい。そのような環境を作ることこそが、大人にとって大事なんじゃないかな。
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