「薄い本」も後に歴史書として語られるようになる、かも?!

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現在ではインターネットの普及やパソコンをはじめとしたデジタル機器の浸透、技術の進歩、さらには価値観の変化などもあり、商業誌に手が届くまでとは言い難いものの、同人誌の類も随分と認知されるようになった。アマゾンで展開されている個人ベースでの出版サービスも、同人誌に違いは無いし、ねえ。

で、その同人誌界隈の中でも、特に18禁的なものの作品を「薄い本」という形で総称することがある。元々8・16・32・48ページ程の厚みが薄い本として刊行される、場合によっては製本では無くコピー紙としての展開になるからってのがその理由ではあるのだけれど、その「薄い本」的なモノが歴史書的な形で見つかったという話。

まぁ、「薄い本」そのものとして創られたのではなく、個人が日記のようなものとして書いていた個人誌的なもの(恐らくは他人に見せることを前提としていない、創作ノート的なモノ)が、実は土方歳三と沖田総司の男性同士の官能小説だったという事実。まぁ、「腐女子はする事同じなんだ」という感想が出てくるのも理解は出来る。本人が墓から出てきそうだよ、マジで。


時代的な流れを考えると、今なら現役アイドルユニットなり、アニメや漫画の主人公キャラ達をベースに色々と妄想してそれをストーリー仕立てにして描くってのと何ら変わりはないのだろうね......って今と同じ。人間って100年経ってもやることは同じなんだな。違うのは、それを頒布する・出来る環境があるか否かってことぐらい。このお婆様も仮に今のような環境に置かれたら、恐らくは薄い本を創ってコミケに出展していただろう。


......ですねよねー(棒)。いや、最近は電子書籍化もされるので、それらはずっと残る可能性がある。少なくとも時代時代の文化形態を分析する際の資料にはなるはず。誰が分析するんだという話はさておくにしても。

いや、その系統の学問もそろそろ必要なのかもしれないよ、マジで。文化として存在しているのだから。ゲームなり、ネットコミュニティなりと同じ。だってほら、数十年前のコミケや秋葉原の様子をとらえた映像が、貴重な歴史資料としての立ち位置にあるぐらいなんだし。

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このページは、不破雷蔵が2015年3月17日 07:37に書いた記事です。

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