できればカラオケがある店には行きたくないのだが、いくならいくで、二時間ずっと手拍子をしているのでも構わないので、それでも十分に場の雰囲気は楽しんでいるので、どうかぼくにリモコンを渡さないで欲しい。
— サイ / 三原卓也 (@rhinoeye) 2015, 3月 15
なんでみんなあんなに歌を歌いたがるのか、さっぱり理解できないでいるのだが、おそらくぼくが少数派であることは弁えているので、それを主張して世間を変えようとなんて思っちゃいない。あれはあれでいい面もあるのだろう。だけど、ぼくには回さないで欲しいのだ。
— サイ / 三原卓也 (@rhinoeye) 2015, 3月 15
職場の飲み会をできるだけ避けるようにしているのは、カラオケがあるのがいやだから、って面もなくはない。ほかにもいやなところはあるけれど、ほかのことはたいがい我慢できたりするので。
— サイ / 三原卓也 (@rhinoeye) 2015, 3月 15
音楽や歌うこと自体がいやなのかというと、うちのなかで鼻歌を歌ったりすることもあるので、そういうわけでもないのだろう。ただ、人前でマイクを持って歌うことが、ほんとうにいやなのだ。
— サイ / 三原卓也 (@rhinoeye) 2015, 3月 15
カラオケという文化はすでに日本においては文化の一つとして認識されているけれど、他人の前で歌うことに及び腰を覚える人もいる。当方もその一人で、音楽系・美術系のセンスが丸っきりダメで当然音痴なのに加え、元々声帯が弱いので声が通らないため、発声面でコンプレックスを持っているのもある。歌を聴いたりそれに寸評をしたり、鼻歌を歌うのはむしろ好きな方なので、音楽そのものが嫌いなわけではない。単に他人の前で歌を歌うのが苦手なだけ。あるいは過去にトラウマがあったのかもしれないけれど、そのトリガーとなった事案の記憶はすでにない。
リモコンを膝のうえに抱えて、周りのひとの選曲を聞いて回って入力インターフェースに徹するというのも手ではある。みんなが歌いたがりそうな曲を勝手に入れて、マイクを渡しにいっちゃうという手もある。しかし、じゃあ次はあなた、といわれかねない諸刃の剣でもある。
— サイ / 三原卓也 (@rhinoeye) 2015, 3月 15
最近のはたいてい通信カラオケなんだから、なんとかしてカラオケの機械自体を一時的にクラックして、通信不能の状態に持っていけないものだろうか。帰るときはちゃんと元に戻しておくから。
— サイ / 三原卓也 (@rhinoeye) 2015, 3月 15
二十代のころは、どうせカラオケなんて十年もすれば廃れてしまうだろうから、それまでの辛抱だと思っていたのだけど、二十年以上辛抱しても、いまだになくなる気配がなくて、このままでいくと、定年退職するまでずっと続くのかもしれないと思うと憂鬱だ。
— サイ / 三原卓也 (@rhinoeye) 2015, 3月 15
安心して下さい、世界中に広まっています。@rhinoeye 二十代のころは、どうせカラオケなんて十年もすれば廃れてしまうだろうから、それまでの辛抱だと思っていたのだけど、二十年以上辛抱しても、いまだになくなる気配がなく...定年退職するまでずっと続くのかもしれないと思うと憂鬱だ。
— ベッド紳士 (@Bed_gentleman) 2015, 3月 15
@rhinoeye 安心して下され。定年どころか孫子の代でも普通にあります。ンで70過ぎたら「ボケ防止に!」と周りに勧められます。実際老人にターゲット絞ったカラオケ屋、飲み屋はあります。飲み屋昼間に開けて近所の爺婆相手にカラオケしてたりとかね。
— 暮維持 飛衛郎 (@crazypierrot_00) 2015, 3月 15
世界のどこにも逃げ場はないのか。
— サイ / 三原卓也 (@rhinoeye) 2015, 3月 15
同じような立ち位置にあるので、気持ちは鼻血が出るほどよくわかる。個人的には一時期流行ったお酒の一気飲みとかに感覚が近い気がするのだよね。好きな人はとことんやっても構わないけれど、そうでない人に強要するのはどうかな、という感じ。「ノリが、気分がそがれる」という反論はあるかもしれないけれど、強要される側からすれば「その程度で失われる気分や雰囲気なら、元々その程度のもの」って返したい。観客の一人として見ている分には楽しめるのだから、その立場を維持させてほしいな。
この世に安住の地はないのか。
— サイ / 三原卓也 (@rhinoeye) 2015, 3月 15
これでさらに、あの世にカラオケがあったら、それは地獄だろう。
— サイ / 三原卓也 (@rhinoeye) 2015, 3月 15
確かにそれは地獄だなあ......。少なくともそこは天国では無い。
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