五歳の娘に、パパの好きな所はドコか聞くと、ちょっと考えて娘「わたしのおはなしを、ずっときいてくれるとこ。そのおはなしで、いっぱいわらってくれるとこ」と言われる。
えっ、それだけ?...しかし、意外とフツーの男女間であっても大事なことなのかも知れないなあ。
— 飛龍 乱 (@rhiryu) 2015, 3月 15
ストレスがたまったり精神的に不安定な状態に追い詰められたりした時、あるいは色々な選択肢があってどれを選べばよいのか分からない「と自分では思っている」時。とにかく他人にその内情を話すだけで、話を聞いてもらうだけで、随分とすっきりしたり不安定感から脱したり、さらには選択が出来たりする。以前にも触れたかもしれないけれど、自分の想いを文面化したり言葉にすることで、頭の中のもやもやとした、言語として体現化されていない状態のものをすっきりと形にし、「分からないことが分からない」状態から来る不安から脱する効用がある。さらにいえば選択肢を複数持っていて他人に尋ねる場合、往々にしてその時点で自分の中ではすでに一つを選んでおり、実はその再確認をしたいだけという場合も多い。
紙に書いたりホワイトボードに書き出すのは一人でも出来るけれど、他人に話す方が効果は高い。そこには「他人に聞いてもらう」という大義名分が生じるため、自分自身のためにやっているという負荷が軽減されるから。さらに相手がちゃんと耳を傾けて聞いてくれていれば、自負心もそこに上乗せすることができるため、さらに不安解消にはプラスとなる。「悩んでいるのは、考え込んでいるのは自分だけでは無い」という孤立感からの脱却も、深層部分で得られることになる。
さらにいえば語る内容が悩みやもやもや、選択の判断に限らず、他愛もない戯言でも構わない。耳を傾けて聞いてくれれば、そこには話の内容の共有が出来たという一体感が生まれ、情報を共有したいという、人が持つシェアの欲求が満たされる。「笑う」との反応は、ちゃんと話を聞いてくれたという証。
これって男女の間柄はもちろんだけれど、対人コミュニケーション全般に言えることではないかな、と思ったりする。そしてネット上でのコミュニケーションでは「ずっと聞いてくれるところ」が語り手側からは把握しにくいがため、直に相対する場合と比べ、意思疎通が難しいのかもなとも思ったりする次第。
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