「親近感を持たせるため」という大義名分のもとに繰り返されるプライバシーの暴露

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複数の日本人の犠牲者も出した、先日のチュニジアの博物館における事案。状況が錯綜しているので今後どのような背景が明らかになるのか分からない、まだ定かではない部分も多いのだけれど。早速犠牲となった方々の卒業アルバムがさらされるという事態が生じている。

犠牲者本人の親族関係者から提供されたのか、あるいはその周囲の人、同級生で同じものを持っていた人が提供したのか否かまでは判断できないけれど。以前【朝日新聞支局長大いに語る「犠牲者のひととなりを公知するのは親近感を持ってもらうため」「晒しではない」「報道は本質的に余計なお世話」】【加害者・被害者の実名報道の是非と現状における難しさと】などでも触れた通り、報道側の都合による強硬な論理展開が再び繰り返されている感じなんだよね。

指摘の通り、卒業アルバムと今件の事故とは何の関係も無い。対象者が関与していたというだけの話。今後他にも多種多様な個人情報をサルベージして呈し、「親近感を持ってもらうため」という大義名分のもとに「晒し行為」を正当化してしまうのだろう。

そもそもその行為にどれほどの意味、効果があるのか。どれだけ大義名分を裏付けるだけの意味があるのか。そして百歩譲って昔のような情報の非蓄積・非検索的な場での展開ではく、蓄積され、それを基にさらなる「家探し」の素材となるような情報の提供がどれほどまでのデメリットを見出すことになるのか。そこまで考えたことはあるのだろうか。

昔と同じ感覚で正当性を振り回している。そんな香りがするのもまた、嫌悪感を覚える一因なんだろうな。未成年者の実名報道関連と比べるとやや薄いけれど、「自分達は報じることについては絶対権限、オールマイティカードを持つ、特殊上流階級」「報道という力を用いれば、何をやっても構わない」という上から目線感・意識があるのも、問題なのだろう。

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このページは、不破雷蔵が2015年3月20日 07:28に書いた記事です。

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