マンガアプリの抗議が一番怖いのは、読者でも団体でも、ある意味行政でもなく、アプリを出すAppleやGoogleの倫理基準から外れてリジェクトされること。で、それをされないような反応、すなわち「過度な自主規制」になっているのかもしれない。
— 中杜カズサ (@nakakzs) 2015, 3月 18
「境界のないセカイ」に関する連載終了周りは、「圧力を かけていないと 圧力を」という良くわからない主張が堂々となされているあたりも合わせ、色々と込み入っているし、以前の「お掃除ロボット」周りでかなり幻滅させられたので、現時点ではホールドとして。それに絡んで、以前からぼんやりと考えていたことの指摘があったので、それをまとめる形で。
先行記事でも触れている「報道、一部の記者や編集部が、自分達の裁量のみで司法権的な権限を事実上有し、未成年者への更なる断罪に相当する実名報道の有無を決めることは許されるのか。そのような問題が発生しないようにするのも、一律『やっちゃダメだろ』的な取り決めでは無いのか」的な話と同じで。配信側が少数に絞られたり、過度な権限を持つようになると、その力が暴走する、(不特定多数が守らねばならない法令とは別の)自らの論理・倫理を絶対真理として行動するようになるリスクが生じている。
結局法令が皆のルールとして通用するのは、それを破ると刑罰を受けるという決まりがあるから。だったらそれと同じ構図で、破ったら刑罰を受けるような仕組みがあれば、その分野では仕組みを持つ側が法的なものになるのでは。まぁ、どのようなシステムでもそれはあるのだけれど(例えばゲームだってそうだよね)、その権限が強くなり、不特定多数に影響を及ぼす状態は、いかがなものだろうか......という感はある。
そういうことがあるから、電子書籍を一つのプラットフォーム、しかも海外の会社に委ねるのは危険だって前から思ってるし、そのために日本の出版社の電子書籍にもがんばってほしいのだが。まあ混迷で10年と。
— 中杜カズサ (@nakakzs) 2015, 3月 18
結局のところ、AppleやGoogleを回避して表現を出せる手段を構築出来ないと、このリジェクトを恐れての似たような件は、あらゆる方面でまた生まれそうな気がする。
— 中杜カズサ (@nakakzs) 2015, 3月 18
ぶっちゃけエロマンガとか完全にアプリとして引っかかるもののほうが、たとえばDMMみたいに割り切ってGooglePlay通さないとかしちゃえるから、今のところ電子書籍マンガでは自由度が高いのかもしれない。
— 中杜カズサ (@nakakzs) 2015, 3月 18
そんな理由で電子書籍そのものなりアプリ通すなりでApple通さないとダメなiOSは、日本のマンガ配信には向いてないと思う。Androidなら公式アプリショップ通さなくてもわりと簡単なので(iOSも脱獄はあるにはあるが一般的とは言えない)。本来ならそこに日本製端末がいて欲しかった。
— 中杜カズサ (@nakakzs) 2015, 3月 18
これも『境界のないセカイ』問題と同じで、本当に恐れているのはアプリ毎Appleにリジェクトされてしまうという意識から起こる『過度な自主規制』なんじゃないかなあ。 / "comico(コミコ)がなぜか同性同士の..." http://t.co/8zPQ56C13k #マンガ #表現規制
— 中杜カズサ (@nakakzs) 2015, 3月 18
これは検索エンジン周りでもすでに多分に起きているのだれど、ワールドワイド基準のインフラを使うことで、世界に窓が開かれうるのと共に、物差しも世界基準のものが使われる。対象は日本だけ、特定文化圏だけという前提のもとで作品を創っても、そのインフラは利用できない。んじゃその文化圏だけのインフラを使えばいいじゃん、ということになるけれど、それが無かったらどうしよう......という次第。
そしてさらに、そのインフラの正当性、物差しが正しいか否かに関しては、概してその企業の倫理観「のみ」で判断されてしまう。社会論理、通念に即した判断をしてくれるハズだ? 例えば先日のFacebookの広告周りの話一つをとっても、善意(に見える)の暴走が実の所悪意でしかないってことは多分にあるんだよね。
「境界のないセカイ」そのものの問題は関連方面の各種団体の挙動と共に色々と見ていく必要はあるのだろうけど、それと共にこの「独善ルール」、とりわけ電子出版周りに関してはちょいと考える必要があるのかもしれないな。
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