デフレな世界の身近な怪談「闇金ウシジマくん」という説

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年度末になりベースアップやら一時金やらの給与周りの話が色々と出てくると、多かれ少なかれ茶化したり逆切れしたり「俺のところには無い」「大手だけ」という非難中傷の類の声があがる。今年は特にその雰囲気が強い。んじゃ大手が下がるとあんたら喜ぶんかい、大手には人は誰も勤めていないんかい、大手と中小の区切りはどこなんかい、要は自分に寄越せってことやろ、それともアレか、本来給与周りの引き上げ依頼・要請をすべきサイドがむしろ反対し、政府側などが要請をした結果が出ているので、色々とやっかみもあるんかい、というダークサイドにマインドを引き寄せられた感も覚えながら。

似たような話を受けての反論の一つがこちら。給料が上がるってのは、人の、人が提供する労働の対価が上がりはじめたってこと。それを素直に喜ばないのは、デフレ感に長い間使っていたのも一因かもしれない。「金が大事」の時代から「人が大事」の時代ってのはやや語弊があり、需給関係が、交換レートが変わったということ。お金はほぼ万物の代替ツールだからね。昨今の事例で例えると、「妖怪ウォッチ」のメダルみたいなもの。ちょいと前までは超苦労してようやく手に入る、かも的なモノだったのが、今ではイージーに手に入る。お金と物品の間の立場に変化が生じた。人が大切にされる、重要視される、本来あるべきレートに戻るってのは悪い話ではない。


その観点で考える、考え直すと、デフレ時代の象徴となる作品の一つが「闇金ウシジマくん」って指摘は言い得て妙だと思う。あの絶望的な底辺世界観、お金に対する執拗さと無神経さ、未来を見通せず明日への希望も無く夢も見られずその日暮らし的な、それこそ文化的なツールを使ってはいるのだけれど生活様式そのものは非文化以外の何ものでもないという情景は、表現しがたいものがある。

「怪談かもしれない、しかし隣近所で実際に起きているかもしれないというリアリティを持つ怪談」という雰囲気は、まさにデフレ感そのもの。

慣れというのは非常に怖いもの。改めて実感させられる。

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このページは、不破雷蔵が2015年3月20日 08:03に書いた記事です。

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