筆者を慮る編集者とは気持ちよくいい仕事ができるので自分が編集者的な立ち回りをするときには筆者を慮るよう最大限尽力しますが締め切りを守らぬ輩に容赦はせぬ。地獄の果てまで追いかける。
— gaecen ueno (@gaecen) 2015, 3月 20
締め切り守らないライターは根本的にクソですな。編集者的立場からすると。ライター以外にイラストレーターもデザイナーも、締め切り守らないのはクソ。
— スタパ齋藤 (@stapasaito) 2015, 3月 20
最後に当人自身が語っている通り、以前似たような話を取り上げた記憶もあるのだけれど、いわゆる締切のお話。相手との間で交わす、様々な約束事の条件の一つ。契約事項みたいなもの。「時間」「内容」「完成品」を提示され、それを守ることで「対価」が支払われる。「時間」は指定されないことも多いけれど、常識の範囲を超えれば事実上契約を破ったに等しい判断をされることもある。
時間、つまり締切は、契約・約束の上での重要な要素に他ならない。約束をする時には商品以外に時間も含めて考慮されているから。クリスマスプレゼントに考えていた商品を注文したら、届いたのは正月過ぎだったらどうする? みたいな例を挙げれば分かるはず。
約束の時間を守らないのは、相手の時間つまり人生を、強制的に浪費するので、クソとかって以前に深刻な罪悪。咎められることのない、憎悪の対象、と思います。
— スタパ齋藤 (@stapasaito) 2015, 3月 20
締め切り、って、言葉の上では出版とか作家とかのありがちなお約束言い訳ワードですが、実質は、人と人との約束です。約束を破る奴と、仕事しますか? 私はしません。期限を守らないのは、相手への裏切り。待ち合わせ時間も同様。相手の時間を勝手に消費するのは罪悪。締め切りは深刻な要素です。
— スタパ齋藤 (@stapasaito) 2015, 3月 20
さらに言えば締切は他の要素同様、関係する多人数の人にも影響を与える。約束の内容は一対一で完結するものではないから、必ず連鎖が生じる。玉突き事故的な、ところてん的な、バタフライ現象のような事が起きる。一人の締切破りが多数の人にマイナスの影響を与える可能性は高い......のだけど、締め切り破りの常習犯的な人は、この辺りの感覚が多分に麻痺をしていることが多い。「自分が締め切りを守らなくたって、困るのは自分だけでしょ? せいぜい約束の相手? みたいな」という感じ。
無論不可抗力で締切が守れない、守れなくなる場合もありうる。その時にも極力事前に連絡をする、対応策を講じ、相手をはじめとする関係方面に影響を与えないようにする。単に自分が怠けたいから、ちょっと遊びほうけていたのでという勝手な理由で締め切りを破り、さらにそれを相手などに伝えない行為を平気で繰り返すのは、集団生活、社会生活をする上で、何か欠けていると判断されても仕方がない。
ウチの夫が紙媒体の編集長だった時は締め切りを2段階、ライターによっては3段階設定でした。そして、本当の締め切りはデザイナーのわたしにも知らされない時があった。
— Daria Arao (@DariaArao) 2015, 3月 20
とはいえ、その類の人は集団の中には必ず一人や二人はいるもの。大よそは自然淘汰されるのだけど、その過程で周囲が迷惑を受けるのではたまったものではない。管理側ではそれを見越して、このように保険的な締め切りを多段に設けることもある。これは作り手側も同様で、締切交渉時にリスクを考慮して出来る限り長めの締切設定を行い、余裕を持って作業を行う。
以前触れた話ではあるけれど、行う前から100%の力を出すことを前提に計画を立てると、大抵どこかでひずみが生じてしまうことになる。イレギュラーな状況はいつなんどきでも生じ得るからね。
ともあれ。守る側も守らせる側も、締め切りはとても大切。代金や品質と同じレベルで重要な契約条項であることを、改めて認識しなきゃ。
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