「庶民感覚」の罠 ①代弁しているように語る本人が庶民とは限らない ②語り手の主張したいことが代弁されている ③庶民感覚が正しい内容とは限らない ④庶民的な雰囲気があってもそれが多数派であるとは限らない ⑤そもそも「庶民」の定義が曖昧
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 3月 20
テクニカルタームというか無敵の合言葉的な感じで使われている言い回しの一つ、「庶民感覚」。要は対象の行動や性質、事象が世間一般で行われている様相とは大いに異なる(大抵はリッチ感の強いモノ、あるいは常識と呼ばれているものから外れたモノ)として、非難をする時に用いる言葉。「永田町の常識は世間の非常識」あたりとも近しい香りのする言葉。
先日も某所でこの言い回しが使われていたんだけど、それ、何か変じゃない? ということでじっくり読み直した上で、やっぱり変だなとの結論。そして「何で変だと思ったんだろうか」と考え直し、これまでに使われてきた「庶民感覚」なる言い回しを調べ直したり思い返したりして、気になったのをまとめたのが上のツイート。②は厳密には「庶民の実情では無く、語り手の語りたい事、主張したいことが代弁されている」なんだろうけれど。
要は「庶民」という仮面を被せて「俺様の意見を採用しろ」「お前の状況は否定されねばならぬ」みたいな主張をしている場合が多分にあるということ。そもそも論として⑤の「庶民の定義が曖昧」ってのが大きなポイントとなる。なんかいいように「庶民」が濫用されてない? みたいな。
@Fuwarin 庶民感覚≠民主的な決定ですものね。庶民感覚という言葉を持ち出した時点で、民主的な議論、理性的な議論を放棄してるといって過言でないと思います。
— 上更千秋=プラウス (@mio_sng) 2015, 3月 20
この指摘も至極理解できる。庶民感覚という曖昧な内容・対象を振りかざすことで、民主的な、理性的な、理知的な、本来なされるべき論理的なやり取りを一切破棄しているに他ならない。これがもう少し攻撃的なものになると「感情論」なり「国民の声」になるわけだ。
「庶民感覚」というキーワードと共に「だから●×しなければ」的な言い回しを目にしたら、「その庶民は具体的に何を指すのかな」と考え直す。それだけでも魔法のキーワードの魔術から逃れられるかもしれない。無論、正当な意味で「庶民感覚」が使われている事例も少なくないのだけれどね。
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