「ネット端末を使える」「アプリケーションを使いこなせる」「プログラムを組める」全部パソコンを使えると表現するけれど

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先行記事【「日本の若者はパソコン使ってないよね」の件、調べようとしたら......】でも触れた「パソコンを使える」という言葉の意味。多分にパソコンを操作できる、というよりはキーボードでパソコンを操作して各種アプリケーションの利用もそれなりに可能という、【パソコンは古い新しいの問題では無く、道具として使えるか否かの問題】で解説したような、道具として使えるか否かの問題ではあるのだけど。

その意味での「パソコンが使える」でもさらに、各種ソフトが使えるより高いハードルで、それなりのプログラミングがこなせるとか動画編集ができるとか色々な方面に分派はするけれど、コンテンツを創り上げる領域に達しているか否かという意味合いで使う場合もある。「料理ができる」という言葉に近いかな。単に材料を切ったりして電子レンジで調理できる場合も、創作料理など自在に料理を作りこなせる場合も、それこそ簡単に炒め物をつくれる程度でも「料理が出来る」と評することは可能だからね。

確かに調べた限りでは、どこまでさかのぼるかにもよるけれど、昔は今と違ってプログラム方面における創作者は随分と減った気がする。インターネットにアクセスは容易になったし、各種コンテンツにもすぐに触れる事はできるけど、創る機会は、少なくともプログラムの観点に限れば減っている。


この話は多分に創作、ネタな部分もあるけれど、プログラマーやシステムエンジニアの類も多分に世襲制......というか環境の継続が成される気がする(これって政治家の世襲化と同じ仕組みだよね)。プログラム的な思考って、実際にプログラムが出来なくてもとても大切なんだけど、生まれついてのものでなければ時間をかけて習得するしかないからねえ......。

ただこの状況が悪い、昔が良かったというわけではない。無論プログラム系の人財が創生される機会が減っているのは事実で、憂う状況には違いないけれど。アプリケーションが大いに増えて技術も発達したことで、プログラム系......というかパソコン、さらにはインターネット系の技術が多様化しただけじゃないかな、と。エクセルのマクロを組める人はそれだけで重宝されるし、グラフィックツールでステキ加工が出来る人は色々と選択の幅が広がる。MMDを巧みに操れる人は何らかの可能性を見出してもらえるかもしれないし、自らその力を糧にできる場面を切り開くこともありうる。

他方Rubyの話が一例として挙げられているけれど、システム周りの言語は特に、一度基幹システムに使われてしまうと、再構築・リニューアルが難しくなるので、長年に渡って同じ言語での運用が求められることがある。ところが言語技術そのものは日進月歩なので、リニューアルなり統合化の際には、その言語技術は廃れてしまって手掛けられる技術が枯渇していた......というロストテクノロジー的な状態となる可能性もある。

既存技術の維持保全と先進技術の開発拡散、リソースの事を考えると頭が痛いけれど、双方を両立させないといけないんだろうな。

まぁちょいと話は脇道にそれたけれど、昨今のキーボード離れ症候群の話もあり、単にキーボードを使えるだけでも結構なアドバンテージとなる時代ってのはそう遠い未来の話じゃないかもしれない。それにに加え、プログラム的思考ロジックを有していること、そして各方面でそれなりの創作能力を持つことで、プレミアムな人材として自分自身を律することが可能になる時代がくるんだろうな。一時期流行ったパソコン教室なんてのも、再び人気が出てくるかもしれない。

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この記事について

このページは、不破雷蔵が2015年3月22日 08:05に書いた記事です。

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