心が弱っている時に、基板を見ると和むwww。理路整然と、無駄の無い回路に、ICや電解コンデンサ、抵抗、外部コネクタが並び、静かに活躍の機会を待っている!コネクタの凸凹が組み合い、電源を入れた途端に、全力で動作する様が愛おしいwww pic.twitter.com/xUIcPgopbf
— コウ@ゲームは1日1時間! (@Old_Gamer_JPN) 2015, 3月 22
ゲームが起動しない時には、端子を無水アルコールを浸けた綿棒で掃除してやると、汚れが綿棒に予想外に付いて驚く!汚れは愛用した証なのだと丁寧に磨くと、調子が良くなる!子供心に強烈なインパクトを与えてくれた当時のゲームを、大人になった今でも楽しめる事に感謝!
— コウ@ゲームは1日1時間! (@Old_Gamer_JPN) 2015, 3月 22
当時、高価で買えなかった光栄のゲームが、今や二束三文的な安価で買えるよ!大人買いしたよ!買っただけだけどwww 子供の頃は、潤沢にゲームは買えなかったけど、その分、忍耐強く、頑張ってゲームを楽しむ事を学んだよ!CPUや対戦で負けが濃厚になると、すぐリセットする兄がキライだった!
— コウ@ゲームは1日1時間! (@Old_Gamer_JPN) 2015, 3月 22
「光栄」ってのは今のコーエーテクモのこと。調べた限りでは光栄だった時代、パソコン向けゲームソフトと家庭用ゲーム機ソフトの間には随分とした価格差(パソコンの方が上)があったのだけれど、光栄はゲーム機向けに移植する際にもパソコン向けのソフトと同じ価格帯で展開したため、他メーカーとの間に大きな価格差が生じて、高級ブランド化していたのだそうな。
で、今ではミニカードや光媒体でのゲーム提供がほとんどで、カートリッジ形式のゲーム提供スタイルそのものを知らない人も多いかもしれないけれど。昔は写真の通り、がっつりと各種部品がぶち込まれたカートリッジとして提供されていた。電気製品みたいなもの。で、接触部分に指摘の通りお掃除を施すことで、再び稼働するようになることも。以前紹介した、まるで古代の都市みたいなパソコンの基板内部と同じく、一種の芸術的なセンスすらおぼえるのだよね。それが通電してすべて正常作動し、一つのゲームを送り出していく。
今ではそれらファミコンやスーファミのゲームも、エミュレーター的な形で公式に提供されるため、当初の発売された形でのカートリッジを所有している意味は、ゲームそのものをプレイする限りにおいてはほとんど無意味。半ば歴史的価値、骨董品に過ぎない。で、骨董品は売買の点では需給で価格が決まるので、需要がほとんど無いわけだから、当然たたき売りされる。それをざくざくと買い集めている人もいるかもしれない。
あと数十年もすれば、あるいはこれらのカートリッジも逆に価値が出てくるかもしれないけれどね。ただ、それを動かす本体が維持できるかどうかが問題だな(笑)。
ちなみに当方もカートリッジスタイルのゲームは結構保存してあったりする。捨てるのもったいなくてね。資料代わりに新旧問わずに買っていたので、シミュレーション系のソフトが多いけれども。ここまで保存しておくと、いまさら捨てるわけにもいかないんだよねえ。
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