公的以外機関が「規制」を行える権限を有するということ

| コメント(0)


先日ちょいと触れた「未成年者への断罪に等しい実名報道の是非を、一部報道の考えだけで決定して良いのか」的な件ともつながりのあるお話。電子書籍周りとも深い関係がありそうな指摘なだけに、ちょいと覚え書きも兼ねて。


要はプラットフォームがインフラ化するのに伴い、そのインフラにおける物差しが事実上法令化されてしまうというもの。某大手通販サイトのメルマガのウザさ、執拗さやサイト構造のアレさに「嫌なら使うな、そういうわけにもいかんだろ? ぐふふ」的な状態が、コンテンツ配信の世界にも起きてしまうというもの。

そしてもう一つ問題なのは、それを取り仕切る側が国際企業であり、配信されるネットワークがワールドワイドであることから、基準も特定の国内での文化様式に対応するものではなく、個々の国や地域の状況を見た上で、最小公倍数的なものとなりかねないというもの。それぞれの慣習に沿ったガイドラインで判定して、OKな地域のみ配信するようにするってのは、技術的には不可能ではないけれど面倒くさすぎるし、要素が細かくなると不具合ばかりが生じてしまう。YouTubeの地域限定配信動画ってのも、結局動画の制作者が決めている話でしかないし。

スマートフォンのアプリではすでに多分にこの傾向がある。検索エンジンでもじわりとそんな雰囲気が出てきている。便利になるかもしれないけれど、同時に平坦さ、そして不公平感と理不尽さも加速してしまう感はある。似たような話では、某広告フィルタリングアプリが好例かな。「邪魔で悪質な広告を非表示にさせる素敵アプリを創りました」的な形で配布をしているのだれど、その「排除対象となる『邪魔で悪質な広告』」と「排除対象とならない広告」の境界線はどうも曖昧。良く調べてみると、そのアプリのビジネスとして「邪魔で悪質な広告」扱いを避けてもらえる的な契約プランが用意されていたというオチ。要は「お金払えば免罪符売りますよ」っていうところ。

ビジネスの世界には「仕組みを作ったもの勝ち」という話がある。デジタル化でその流れが加速化しているような気がする。


これを思い出した今日この頃。動画そのものは随分とおチープなものになってしまったけれど。多様性って大切よ。マジで。

関連記事             

コメントする

            
Powered by Movable Type 4.27-ja
Garbagenews.com

この記事について

このページは、不破雷蔵が2015年3月25日 07:21に書いた記事です。

ひとつ前の記事は「山田うどんで「春のパンチ祭り」なるものが開催中」です。

次の記事は「スマホアプリゲームがウェブゲームと違う点、一度手放されたらほぼアウト」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

* * * * * * * * * * * * * *


2021年6月

    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30