ちょっとTLラインを汚すけど少しもやっとしてる事を呟く
メンドクサイ、考えたくない人もいるかもなのでアレかもしれないけど
http://t.co/C3vXseMRQK まあそもそものきっかけがこちら
で数年前から言われてることだけど既にゲームや検索エンジンでは似たような事をしてる
— 黒枷葵@こっそり活動再開 (@kurokaseaoi) 2015, 3月 24
http://t.co/C3vXseMRQK
さっくりと年齢のレーティング知識としてはこちらを参考にして欲しい
アプリとかに関してこういう点で年齢違反をしていますけど?と突然開発にやってくる(もちろん開発は修正するし、指摘受けたのを直さないと置いてもらえないから)(続く
— 黒枷葵@こっそり活動再開 (@kurokaseaoi) 2015, 3月 24
先日ちょいと触れた「未成年者への断罪に等しい実名報道の是非を、一部報道の考えだけで決定して良いのか」的な件ともつながりのあるお話。電子書籍周りとも深い関係がありそうな指摘なだけに、ちょいと覚え書きも兼ねて。
もちろん言葉の壁だったり、そのやり方を調べるにはという部分はあるにしても違う国の文化にはかなり触れやすくなってるのよね でエロだったり作品の表現は国毎に違うわけだし ただそれで困るのがやっぱり大人サイドだったりするわけで 戒律とか法律というのを一足飛びしちゃうのを危惧する
— 黒枷葵@こっそり活動再開 (@kurokaseaoi) 2015, 3月 24
でそこに配信元にコレはうちの国ではやめてほしいから配信既定とかで排除して欲しいとお願いするわけ というわけでレーティングに乗らないのは国毎にやるよりは一斉に排除した方が楽だよねと(各国毎の意見も参考にはするから指摘するけど) 全部の意見を聞いてると何にも出来なくなるし
— 黒枷葵@こっそり活動再開 (@kurokaseaoi) 2015, 3月 24
明確な基準点を作ってそこから一斉に排除する方が楽なんだけど、それを何処にお願いしたらいいのかってと配信元は交渉したいとは思うだよねえ ここで権利やお金絡んでこない団体があればいいだろうし、受け手サイドもこういう事態が起きてることを認識してどうしてこうなってるだろうと
— 黒枷葵@こっそり活動再開 (@kurokaseaoi) 2015, 3月 24
常に考えてやらないといけないだろうけど、自分の周りで精一杯で気付くと外堀内堀と押さえられ、徐々にやれることが減ってくるだよね 一斉に排除する際に悪質なものも良質なものも両方まとめてゴミに出してるようなもんだし 動きがデカイわりにわかりにくさのせいで誰も話題にしない
— 黒枷葵@こっそり活動再開 (@kurokaseaoi) 2015, 3月 24
どうせ言ったって変わらないし、どうアクションしたらいいのかわからないのが問題の本質なんだろうなあ というのをちょっともやっとしてる
まあこうやって匿名アカでやってる限りだし、力ある人や影響ある人じゃないと厳しいだろうけどさ というわけで少し毒出させてもらいました
— 黒枷葵@こっそり活動再開 (@kurokaseaoi) 2015, 3月 24
言葉や表現を全部いっぺんに片付けようとしたらそこでしか生きれない人だけでなく付近の人も巻き込むだよなあ
http://t.co/IDqiZIzMhH これをまたやろうとしてるのと同じだしさ
— 黒枷葵@こっそり活動再開 (@kurokaseaoi) 2015, 3月 24
ちなみにアプリストアの規制ってそれこそ電子書籍とかツィッタとかアマゾン、ピクシブとか無料系のサイトも根こそぎやるだよと レーティング縛りされたくないから全員別の使ってねーとなってもおかしくないだよなあ(あ
— 黒枷葵@こっそり活動再開 (@kurokaseaoi) 2015, 3月 24
要はプラットフォームがインフラ化するのに伴い、そのインフラにおける物差しが事実上法令化されてしまうというもの。某大手通販サイトのメルマガのウザさ、執拗さやサイト構造のアレさに「嫌なら使うな、そういうわけにもいかんだろ? ぐふふ」的な状態が、コンテンツ配信の世界にも起きてしまうというもの。
そしてもう一つ問題なのは、それを取り仕切る側が国際企業であり、配信されるネットワークがワールドワイドであることから、基準も特定の国内での文化様式に対応するものではなく、個々の国や地域の状況を見た上で、最小公倍数的なものとなりかねないというもの。それぞれの慣習に沿ったガイドラインで判定して、OKな地域のみ配信するようにするってのは、技術的には不可能ではないけれど面倒くさすぎるし、要素が細かくなると不具合ばかりが生じてしまう。YouTubeの地域限定配信動画ってのも、結局動画の制作者が決めている話でしかないし。
スマートフォンのアプリではすでに多分にこの傾向がある。検索エンジンでもじわりとそんな雰囲気が出てきている。便利になるかもしれないけれど、同時に平坦さ、そして不公平感と理不尽さも加速してしまう感はある。似たような話では、某広告フィルタリングアプリが好例かな。「邪魔で悪質な広告を非表示にさせる素敵アプリを創りました」的な形で配布をしているのだれど、その「排除対象となる『邪魔で悪質な広告』」と「排除対象とならない広告」の境界線はどうも曖昧。良く調べてみると、そのアプリのビジネスとして「邪魔で悪質な広告」扱いを避けてもらえる的な契約プランが用意されていたというオチ。要は「お金払えば免罪符売りますよ」っていうところ。
ビジネスの世界には「仕組みを作ったもの勝ち」という話がある。デジタル化でその流れが加速化しているような気がする。
EPIC 2014 日本語字幕版 (Googlezon EPIC 2004年の未来予想): https://t.co/AUZcWC6jDK @YouTubeさんから
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 3月 24
これを思い出した今日この頃。動画そのものは随分とおチープなものになってしまったけれど。多様性って大切よ。マジで。
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