「TwitterがFacebookより居心地が良い理由」を考えてみたら

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ツイッターもFacebookも同じインターネット上のウェブサービスには違いないのだけれど、そしてソーシャルメディアとして似たようなタイミングで日本に入ってきたのだけれど、浸透普及の過程でどうも雰囲気が大きく違ってきた感を持っていた。それだけに、今件の指摘は(自慢話より云々の部分はともかくとして)共感できる部分が多い。Facebookはさびれているのではなく、どちらかといえば、より一層内包的な、かつてのmixi的な雰囲気が出てきた感はある。村社会......という言葉が妥当か否かは別として、特定の集合体の多数組合せによる寄せ集め的な雰囲気が強く、ツイッターはその障壁が思いっきり低い、カオス的な感じ。

結局のところ、Facebookが実名原則で多分にプライバシーをオープンにしていることから、ある程度内情を語りあえる者同士でないと接触事態が敬遠されるみたいなところがあるのが、指摘されている部分として表れたのだと思う。海外のコミュニケーションサービスは実名、少なくとも長期に渡って使っているネット上の名前を登録して使用するのが主流なのでFacebookが大いに受け入れられたのだけど、日本ではその辺りが高いハードルとして目に映り、礼儀正しい中でのやり取りを強いられているような気分になってしまうのかもしれない。

あとは......これも指摘の通り、奇妙な内包的グループが構築されにくい。ハードルが低く、容易にシェアされるので、ノイズが増えたり妙な情報が容易に散布されるリスクもあるけれど、逆に集合知には適しているし、ツッコミも入りやすい。よしにつけ悪しきにつけ、ネットを使った情報流通的な感はある。

もちろんFacebookがダメでツイッター万歳ってわけではなく、得手不得手があるので、うまく使い分けるべきだよね、ということ。ツイッターでFacebook的な反応を期待しても空振り三振になることは多いし、Facebook上でツイッター的な振る舞いをしたら、あちこちから苦虫かみつぶしたような顔をされる的な反応を受けてしまう。難しいけど、慣れる事が必要かな。

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このページは、不破雷蔵が2015年3月26日 07:57に書いた記事です。

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