「ほうれんそう」は新社会人に大切?らしいので、改めてツイートしておきます。 pic.twitter.com/ySTWEZaVth
— みと(倉戸みと) (@mitragyna) 2015, 3月 31
社会人に必要だと言われている本来の「ほうれんそう」とは、報告・連絡・相談。それぞれの頭文字を取り、報・連・相から取ったもの。要は横や上下の意志疎通、情報共有を密にし、分からないことがあれば黙っていないで相談をしなくちゃね、というもの。
とはいうもののこれもケースバイケースで、あくまでも基本論の範ちゅう。報告や連絡は必要不可欠だけれど、相談も頼り切りすぎると自己判断力を欠いてしまい、他人へ権限を譲渡した意味が無くなってしまう。単なるメッセンジャーでは無いのだから。
他方、社会人、特に新社会人はぎっちりとした社会生活の中でその閉塞感、理不尽さ、責任感の大きさに潰されて、精神的に参ってしまうことが少なくない。そんな時に、自分の心のよりどころ、逃げ道的な話として、「放置・連休・早退」から成る「ほうれんそう」を用意しておくと、追い詰められて爆発してしまうリスクは避けられるのでは......という話に解釈。
無論、年がら年中、こちらの方の「ほうれんそう」で生活していたのでは、バブル前後の時代の「無責任男」や「釣りバカ日誌」の主人公でもない限り、会社から放逐されてしまうのは目に見えている。根を詰め過ぎ、自分を犠牲にすることは無いって意味で覚えておくと、すっと気が楽になる、そのための処方せん的なものと考えるのが無難かな。
それに一応こちらの「ほうれんそう」でも、本来の意味の方の、報告・連絡・相談を否定しているわけではないからね。まぁ、放置の場合は「手が付けられないので」という好意的解釈をすればいいかな。
※ダメな所業の代表という解釈もあるようですが、個人的には上記解釈を推します。根を詰めてばかりで息を抜ける場所を作らないと、多くの人は心が折れますよ、ハイ。......経験者は語る。
コメントする