頼まれたサイン色紙もカラーイラストだと一枚描くのに半日かかる場合も。自分の遊びで描くものと、仕事や誰かの為に描く絵では、その手間と時間がまるで変わってくる。意外とこの違いに気づいてない人が多い。
— 窪之内英策 Eisaku (@EISAKUSAKU) 2015, 4月 3
チャチャっとお願いします。無料でお願いします。は、描くつもりだった物も言われた時点で大体断るようになりました。
— 石川雅之 (@isk_ms) 2015, 4月 3
以前似たような話をした記憶もあるのだけど。フリーランスで働く、自分の技術を武器にするクリエイター系は特に、また普通の会社勤めの人でも上司や同僚とのやりとりの中で、こんな場面に出くわす機会が生じてくる。得意な分野が目に留められ、あるいは趣味趣向を知られた上で、その方面に関して道楽的に簡単に出来る、労苦もかけずに簡単に終わらせられると認識され、「その程度の労力でできるのだろうから、ちょっとやってくれないかな。タダで」みたいな依頼をされる場面が生じることがある。無論就業中における社員同士のやり取りの場合は対価が発生するわけではないから、単に時間や労力の問題(そんなに手間をかけずに出来るだろう? 的な)でしかないけれど。一番よくある事案は、パソコン周りの設定やトラブル対処話だろうな。
ちょっとした手間で済むからという気軽な気持ちで、さらには仕事の付き合いのきっかけになるかも、次の機会には対価がちゃんと発生する仕事を得られるかもとの思惑で受けることもあるだろう。実際、中にはそのような前提で、依頼をしてくる場合もある。
しかし大よそは、無料なり通常のレートでは考えられないような廉価で、さらには「気軽に出来るだろうから」「それほど時間かからないですよね」という形で依頼をしてくる場合、その時点で「その程度のいい加減な仕事をしている」との評価が下されていることになる。フリーランスの、クリエイター系の仕事をする人にとっては、自分の腕、作品の最大の評価が対価に他ならない。中には「たくさんの人に閲覧されるから、それを評価とすれば良く、対価は必要ないですよね?」的なアプローチをしてくる場合もあるけれど(無論そんな直接的な表現はしないけどね)、閲覧されることで得られる便益が作り手に還元されないのはなぜかしら、というツッコミをしたくなる。
ニコ動やYouTubeのような動画サイト、小説投稿ポータル、その他創作系の場の多くでは、「趣味だからこそ」「自分が好き勝手に出来るからこそ」対価云々ってのを考えなくても良いわけで。その発想をそのまま仕事としての創作にまで当てはめて考えられては、作り手の方が干上がってしまう。そりゃ仕事を発注する側はコストを抑えた方が聖歌は大きくなるし、ゼロに出来たのなら大戦果になるから、チャッチャッと、無料でお願いしますって言いたくなるのは分かるのだけど。
そもそもそれって、世間一般の水準で考えれば、モロに「ブラック企業」的な思考だよね。タダ働き、買いたたきみたいな。まぁ「ブラック企業」という言葉自身もガイドラインが明確化しておらず、いいように利用されている感はあるのだけど。タダでやれってのはそのように認識してもいいんじゃないかな。
ともあれ。仕事のやり取りをする際に、対価と作業工程の話が出て来たら、それはそのまま自分の技能や作品の仕上がりに対する評価と見て良い。交渉の際の裏読み、というのかな。自分が話を持ちかける側なら......と考えると良くわかると思うよ。
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