いつもの使い勝手になるようにカスタマイズするわけだけど、もう何度カスタマイズして、それに何時間使ったかと考えたんですよ、あるとき。そしたら、その時間を自由に使いたくなって、カスタマイズやめてデフォルト設定に慣れるようにした。ら、簡単に慣れられた。それ以降、ほぼ、デフォルト主義。
— スタパ齋藤 (@stapasaito) 2015, 4月 4
でも「ほぼ」デフォルト主義で、やはり譲れない使い勝手があったりしますな。それの大小なのかもしれないですな。
— スタパ齋藤 (@stapasaito) 2015, 4月 4
これはあるある感を覚える人が結構いるのではないかな、という感じがする。例えばパソコンのデスクトップをはじめとした利用環境。デフォルト(初期設定)のままでずっと使い続けるのなら、ちょくちょくクリーンインストールをし直して内部的なあれこれをクリーンにすることで、不具合は最小限に留められる。けれどやっぱり使いにくいし、自分の利用状況に合わせて色々とブックマークを配したり、アプリを導入したり、そのアプリで各種設定をした方が、使いやすいに決まっている。だからつい、クリーンインストールには躊躇してしまうし、各アプリにしても再インストールを避ける傾向がある(自前の設定を保存して再読み込みができるのなら話は別だけどね)。
この考えはハードディスクのバックアップタイミングでも似たような感じがする。本来ならそれこそ毎日バックアップした方がいいのだけれど、バックアップする時間と手間を考えると、ある程度間隔を開けないとやってられなくなる。でも間隔が長すぎると万一の時の損失が大きくなる。天秤の加減が難しい。パソコン本体自身の買い代えとか、OSの入れ替えでも似たようなことがいえるかな。
OSとかアプリとかもう更新やめてくれたらカスタマイズしまくりで快適環境突き詰めるけど、快適環境にカスタマイズしたらOSとかアプリがアップデートするし、もうカスタマイズが追いつかない?、的な。嫌がらせか、みたいな気分になりがちですな。
— スタパ齋藤 (@stapasaito) 2015, 4月 4
デフォルト主義にすると、そういう悩ましい問題は片付く。んだけど、最高に心地良い操作環境は、ちょっと諦めないといけないのかも。心地よさの追求と面倒くささからの逃げ、ちょうどいいバランスはどこなのか。を、探すのさえ面倒になったらデフォルトで、もうどうでもいいです?、みたいな投げやり。
— スタパ齋藤 (@stapasaito) 2015, 4月 4
自分をカスタムってなんかストイックな感じでいいですな?
— スタパ齋藤 (@stapasaito) 2015, 4月 4
体が覚えちゃった操作感覚は、禁じたり直そうとしたりするほどストレスでイライラがマックスになるからなあ。かく言うワタクシも、Aキーの左がCtrlじゃないと死ぬとか、returnキーが横長じゃないと発狂しそうになるとか、いろいろあるなあ。
— スタパ齋藤 (@stapasaito) 2015, 4月 4
物凄く同意感。例えば日本語変換プログラム(FEP)でも最初に一太郎で慣れてしまうと、その操作系が身体に染み付いてしまって、その後色々な事情でMS IMEに移行してもキー設定をATOKのタイプに変更してしまうとかね。
パソコン自身の多種多様な設定については、結局のところカスタマイズした設定を極力リカバーし易いように記録をうまく保全できる方法を自分で確保するか、複数環境を用意して「超絶カスタマイズ」「シンプルなデフォルト環境ですぐにリカバリーできる環境」双方で使いこなしていくしかないのかなあ。
色々なアプリが全部一体化して、各種環境も一つですべて集約できるなんてことができれば、環境保存も一つで済むから便利なんだけど......それは各おかずを全部ぶち込んで混ぜご飯なり鍋にしてしまえばいいな、って位に乱暴な話なんだろうな(笑)。
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