この前医師から「休むというのはただゴロゴロしたり寝るだけではなくて、やりたいことをやり、やりたくないことをやらないことですよ」と言われました。いろいろ疲れてる方の参考になれば...
— ヒサノ (@sistervivienne) 2012, 4月 26
色々なノルマやチェックリストとのにらめっこで過ぎ去る日々の中にあると、「休む」という行為そのものを忘れてしまいかねない。そんな時に読むと「はっ」とされられる話。確かに休む=何もせず家の中でごろごろしているだけ、というイメージが強いのだけれど、それだと確かに体は休まるかもしれないが、逆に頭の中ではあれもやりたいこれもやってみたい的なイメージが浮かんできて、かえって疲れてしまうことになる。それって「休む」というのかな。
そんな時は指摘の通り、リラックスをしながらその時に頭に浮かんだやりたいことをやり、やりたくないことをやらない。それこそが本当の「休み」になるという。
何となくこれを実感したのは、入院していた時。最初は病症を治すためにとの想いが強く、勤めなど日常をすべて休んでベッドの中で過ごしていただけれど、当然制約も多いので、心身共に完全に休んでいるような感じでは無かった。ある程度回復して、その時点でやりたいこと......はあるけれど当然出来るはずも無く、代わりにノートに「退院したらやりたいこと」を書き記すようになってから、本当に休みを実感してきたように思う。
「休む」って楽なようで、案外難しい。
ある日突然石油王が現れ、「だらしない人間が大金を持ったらどこまで堕落するのか見てみたい」との理由で毎月100万を置いて行き、定期的に私のもとを訪れては「ああ情けない 人間こうはなりたくないものだ」と嘲笑して行って欲しい 私は悔しさに歯を食いしばりながらゴロゴロしたい
— ためきち (@kumo428) 2015, 4月 3
一方こんな話もある。まぁこれはもちろん冗談話で、同じゴロゴロでも随分と違うものだなあと思うのと共に、仮にこんな話が実現したとしても、最初の「休む」の話にもある通り、本当にそれが自分のしたいことでなければ、たとえそれがゴロゴロであったとしても、気が休まることはないのだろうな、とも考えたりする。
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