「一定以上のアクセスが集まると、他人を煽ることと不愉快にすることにしか興味がない人間が必ず発生する」という前提がもっと共有されればいいのに。まともな人がアホに延々と絡まれて時間を無駄にしてるのを見るたびにそう感じる。
— RPM (@RPM99) 2011, 9月 4
ツイッターをやっていると、「誰かが楽しそうに何かを話している時に、自分がその楽しさをまったく理解できなくても邪魔しようとしない」、「誰かがつらそうに何かを話している時に、自分がそのつらさをまったく理解できなくても口出ししない」という、わりと簡単そうなことが大変難しいとよくわかる。
— たられば (@tarareba722) 2015, 4月 8
いわゆる「クソリプ」問題(この言葉自身は字面の問題もあり、個人的には極力使いたくないのだけど、すぐに連結した発想が出来うる代替ワードがなかなか見つからない)とも絡んだ、成程感的な話。
元々確率論的な問題で、どのような事象にもイレギュラー的な、常識の発想では当てはまりにくい、斜め上的な反応を示す人、場面はある。たまたま内情的にそんな状態に追いやられていただけかもしれないし、それがその人にとっては当たり前なのかもしれないけど、どちらにしてもありうる。大きなアクセス数を示すウェブサイトやブログに良くわからないツッコミが入っていたり、普段は平穏なサイトにも関わらず、特定の注目を集めた記事には「この人、どこからやってきたんだろう」的な反応を示している場面を見つけるとかは、ありうる。サイコロを3個振って全部6が出る確率は6×6×6=216分の1だけど、1000回も振り直していれば4回ちょっとは出るってことになる。下手な鉄砲数撃ちゃ当たる。
で、その稀有な事例に対し、いちいち反応を絞め続けていると、レアケースにリソースをとらわれてしまい、その他大多数に対する便益がごりごり削られることになる。その対応が有意義で不特定多数にもプラスとなるものならまだしも、その特定少数の、イレギュラー的な存在の便益にしかならず、しかもそれそのものが理不尽なものであるのなら、リソースの投入は適切な判断ではない、というもの。何となくわかる。まぁ、例えば行政上の職務とか企業のクレーム対策はケースバイケースだけどね。その少数事案が不特定多数に広まる可能性が体現化されただけかもしれないから(例えば交通事故とか、異物混入事件とか)。
他方、ツイッターは他のツールと比較しても他人へのアプローチのハードルが低いため、その特定少数のレアケースが発生しやすいのも事実。「わりと簡単そうなことが大変難しい」とあるけど、ハードルが低いからこそ誘惑に駆られやすいってのがあるんだろうな。
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