ツイッターのちょっとした仕様変更に見る「サービス提供側の思惑」と「利用者側が感じる不便さ」 http://t.co/5BjT4orOcs この手の話を見聞きするたびに、学生の時受けたシミュレーション実習の教授に「数字は数字。過信するな」と言われたのを思い出す。
— くまたか@パンダ (@kumafukurou) 2015, 4月 10
先日の【ツイッターのちょっとした仕様変更に見る「サービス提供側の思惑」と「利用者側が感じる不便さ」】でちょいと触れた話。そこでは「機能を無くしたり不便にすることで、短期的な『効果』は数字化されるから内部評価はプラスとなるかもしれないけれど、不特定多数の利用者の深層心理に蓄積されるネガティブな心境は数字化されないしすぐには表れないので、その点に気が付かないと中長期的に大きな痛手を受け、しかもその原因に気が付かない」という話をしたけれど、それを端的に語ったのがこれ。「数字は数字。過信するな」。非常に含蓄のある言葉。
「統計とは残酷さを打ち消す残酷さを持っている」(「裸者と裸者」より) pic.twitter.com/lqA4G2Jeyy
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 3月 21
他方、こんな話もある通り、統計、数字には特定の事象、ある一側面を明確化する鋭さを有している。要は軽視するな、しかし過信するなということ。先の記事で挙げたツイッターやマクドナルドは、多分に過信してしまっている状況にあるんだろうな。あるいは組織的な問題で、数字として表せるものでないと周囲を説得できないような柔軟性に欠けた状態となっているのか、あるいは「これこそがビジネスモデル」と信じて疑わない状況に陥っているのかもしれない。
あるいは従来の手法では数字化しにくい分野の影響、今件ならば「利用の上で不便さを覚える仕様を導入した場合、利用客のロイヤリティはどこまで下がるのか、短期的、中長期的な影響それぞれに関して」的なものを数量化することができれば、この辺りの問題も随分と改善されるはずなんだけどね。
ともあれ数字とて道具。便利なのには違いないから、積極的に利用していきたい。ただそれに振り回され、大切な事を忘れちゃいけないのも事実だよね。
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