近所のお知り合いとの雑談とツイッターでのつぶやきは別物ですヨ

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先日、子供が教科書の配布を受けた際に、その袋に教科書に絡んだ注意書きが成されていたことについて「キモッ」的なこと、そこから政府がどうだの押しつけがましさがこうだのと結構斜め上的な話が展開された件。語られている事は多分に偏向的なものであることに違いはないのだけど、同時にこんなことも思ったりする。先日「ネット上で自分の作品や名前を検索して、それについて言及するのはキモい」という話もあったのだけど、そんな事は無くて当たり前の話であり、その「キモっ」という認識の点で、本筋のところは同じかなあと。

ソーシャルメディア、特にツイッターの上で書込みを、家庭内の雑談や独り言、精々仕事場や飲み屋での戯言と勘違いしている向きがあるんだよね。もちろん他者がいる前での悪口を肯定する訳では無く、また自由に物事を考える行為を否定する訳でもないけどさ。

ネット上の書込み、特にソーシャルメディア上の書込みは、閉鎖された場、あるいはメールなどのように意図的に第三者に開示するつもりの無いものを除けば原則的に、独り言や親しい間への雑談のように自分が認識していても、不特定多数に公知しているのと同じ。駅前通りの大広場で大声で語る、それどころか渋谷の大型ビジョンで語っているのと同じ。さらに、そのような場で語られればいつかは関係当事者の耳に入る可能性はあるわけなんだけど、それが検索機能などで瞬時に行われるかもしれない。それがネットの世界であることを、認識しておく必要があるんだよね。この概念はこれまでに無かったことなので、ちょっと分かりにくいかもしれない。だって街中でちょいと語った内容が、下手すると数年後に突然スポットライトを浴びるなんてこと、以前はほとんどありえなかったでしょ?

「そんなの怖い」? それこそがインターネット上の前提であり、仕組み。非常に便利な概念、仕組み。まさに諸刃の剣。

今件の「袋の裏側の文言」も、恐らくは独り言、あるいは近所の御仲間内での雑談ライクに語ったのだろうな......という好意的解釈をしてみる。しかしそれは公知した声明と同じであることを当事者自身はもちろん、今件を見聞きした人も、知っておく必要がある。「独り言を語りたいのに、何でダメなの?」いやぁ、本当に独り言を語りたいなら、ディスプレイに向かって話しかけるなり、テキストファイルに打ち込めば良いだけの話で、わざわざ公知する必要は無いでしょ。ネット上にアップするってことは、誰か他の人に見られるってことを、改めて認識しなきゃいけないんだよねえ。

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このページは、不破雷蔵が2015年4月12日 07:20に書いた記事です。

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