子どもの頃って自分の意志で行けるところって、かなり限られてたんですよね。歩いて行けるエリアだけ、的な。自転車に乗れるようになると、一気にその範囲が広がりましたな。電車やバスの使い方を知って運賃払えると、さらに行けるエリアが広がる。行動半径って、年齢ごとにグイグイと広がるんですね。
— スタパ齋藤 (@stapasaito) 2015, 4月 26
中学生の頃で単独でMAX遠くに行ける場所って池袋だった記憶が。西武デパートの屋上付近の階でいわゆるマイコンをイジるために池袋へ「遠征」していた記憶が。東武デパートの、なんか足元に水が流れるような場所に行った記憶もあります。ともあれ中学生の単独MAXのエリアは池袋だったという記憶。
— スタパ齋藤 (@stapasaito) 2015, 4月 26
高校生になると新宿まで行動エリアが広がった記憶が。また、駅隣接のデパートだけでなく、それより外の街中までガンガン出て行ったような。レコード(音楽が入った樹脂円盤)屋巡りなどという、ちょっと高度なことをしたりもして。ただ街歩きをするだけで物凄く刺激を受けたかも。昔の高校生ですな?。
— スタパ齋藤 (@stapasaito) 2015, 4月 26
渋谷とか原宿とかは、大学生の頃はよく行ったんですけど、な?んか苦手。ずっと苦手で、今でも苦手。アウェイ感が強かった感じ。今でもそうかもしれない。行けば行ったでどうということはないんだけど、行きたいと思わないエリアなんですな。なんでだろう。時々考えるんですが、結局よくわからず。謎。
— スタパ齋藤 (@stapasaito) 2015, 4月 26
子供の頃の行動領域の制限、移動限界点の変化ってのは、色々な理由がある。無意識のうちに自宅から離れた場所へ足を運ぶことに対する恐れ、学校の規則で「この地域より遠くへは行ってはいけない」という制限(学区外なんていう言い回しもあった)、交通手段が使えるか否か(例えば自転車の使用)、そして体力的・金銭的な問題。歳を経ると制限が緩くなり、遠出することの怖さも段々と薄らぎ、金銭的・体力的に上限が上乗せされる。
自分の行動領域限界の外は、まさに新世界みたいな感じで、その存在にドキドキ感を覚えるし、刺激受けまくりんぐ。最近では少なくなったけれど、昔ながらのロールプレイングゲームではお決まりのパターンだった「レベルが上がるに連れて少しずつ遠出が出来るようになる」「特定のイベントをこなすと新しい場所に足を運べる」ってのと同じ感覚。
あるとき気づくと、もうそういう移動可能MAXエリアの意識が薄らいでいる感じ。新幹線でどこにでも。飛行機で遠くまで。外国も。初めて行く場所だと軽くドキドキするんですが、行動半径を一気に拡大するような、行動半径が狭かった頃のドキドキ感はもうナイのかも。とは言っても遠くへの移動は愉快。
— スタパ齋藤 (@stapasaito) 2015, 4月 26
試しに、時間ぎりぎりかもだけど、逆方向の電車に乗っちゃえ! みたいな刺激を求めてのチャレンジをすることがあるんですが、ドキドキ急の不安感とかはないんですよね。もういろいろ知ってるからだと思われ。無事に済ます手法をイロイロ知っているからと思われ。大人になるとドキドキも減るんですな。
— スタパ齋藤 (@stapasaito) 2015, 4月 26
まあでも、緩い精神状態で、未知のエリアに赴いてみたいと思います。知らない場所はなんだかんだでおもしろいですしネ。
— スタパ齋藤 (@stapasaito) 2015, 4月 26
ただし、大人になるとその辺りの「移動限界点」ってのが結構曖昧になる。「無理だよね」から「まぁちょっと無理すればなんとかなるんじゃね?」みたいな感じになる。宇宙とか別次元とか「まったく無理じゃん」とはまた別の、「今は無理だよね、でもいけるかも......」という夢を持てる領域が無くなってしまう。知ることは大切だし、好奇心を満たす事で満足感も得られるし、自分の能力向上はステキなことだけど、それと引き換えに失ってしまうものも少なくないかな、と。
今件ではあくまでも「成長して行動範囲が広がる」という認識の話ではあるけれど、ネットの普及で世界観が広がりまくりとなり、距離的概念が大きく変わってしまったのも、この「移動限界点の先にあるものへの期待感」が薄らいだ一因かもしれない、と想ったりする。実際にその場に足を運んだ時の実体験は、また格別なものに違いないのは事実だけれど、その「足を運ぶ」という衝動を後押しする「未知なる世界への探求、好奇心」ってのが、ネットで薄れているのかもしれないなあという気がしてならない。
あるいは若年層の自動車離れも、この辺りに一因があったりするんじゃないかな。ほんのちょっぴりだろうけど。
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