思うに、事あるごとに「政府は何もしてない」系の批判をする人たちって、アンテナが狭いんじゃないの。
憎らしい奴の言い分なんか聞きたくないから自分の耳をふさいでるわけで、そりゃ「何も言ってない」ような気がしてくるだろうさ。
政府広報をフォローしろ。公報を読め。官邸アカをチェックしろ
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2015, 4月 26
これは直前の「行動領域限界」とちょっと関連のある話。先日の地震に関する話で、それ自身についてはさておくとして、指摘の通り「政府は何もやってない」という指摘が少なからずあり、それが実は「政府はやっていない、というように見えただけ」、つまり「政府がやっていることが見えなかった」ということに対する解説。
もちろんアンテナの精度が低い人も電波を受信できるように、情報発信の領域は拡大すべき。ただリソースの配分に関する優先順位、過度の情報で生じる雑多感による「情報の埋もれ」リスクを考慮すると、難しい話かもしれない。良い方法論の試行錯誤は必要に違いないけれどね。
「政府広報をフォローしろ。公報を読め。官邸アカをチェックしろ」ってのはニンジャスレイヤーのようでもある。
まぁ、アンテナを張って情報を受信するのが目的なのか、それとも騒いだり、その上で叩くのが目的なのか。その方向性によっては、いくら電波を発信しても意味は無いってこともありうるのだけど。
寄付・義援金の金額は、「躊躇なく迷わずに衝動買いできる金額」か「一番最近の飲み会で支払った金額」と大体同じにしとくと、迷わずに出せるぞ。
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2015, 4月 26
「迷わず出せる衝動買いの金額」とか「一番最近の飲み会の支払い」とかは、恐らく人によって金額が違ってくると思うんだけど、たぶんそれが「自分にとって無理のない余剰金額」だと思うんだよね。
寄付・義援金で辛くなってしまっては意味ない。みみっちい、と後悔するのも心によくない。
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2015, 4月 26
その意味で「急に言われてすぐに出せる」「消えてしまっても気にならない」っていう金額を、個々が省みて決めりゃいいんじゃね?
よく、「芸能人がいくら寄付」とか「会社社長がいくら寄付」とかあるけど、あれはあの人らの「無理なく出せる金額」なのであって、僕らがそれに倣わなくてもよい。
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2015, 4月 26
この「個人にとって適切な寄付額の指針」ってのは妙に納得ができるものがある。要は一時に払える余裕資金ということ。あるいは「ちょっとしたぜいたくを覚える外食一回分」でもよい。それが仮に吉野家の牛すき鍋の大盛りにサラダなら、1000円も満たないかもしれないけれど、それはその個人にとって最適な金額になる。額面の高い低いはあまり問題ない。個人のお財布事情に沿った、まさに適切な額面。贈呈品などで良く使われる「うせもの」的な発想と見れば分かりやすいかもしれないね。
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