ネパールの件にしても火山の件にしても、さり気に日本をディスる言及を入れるというのは、何なのだろう。使命か何かを背負っているのかなという感すら覚えたりします。これを思い出さずにはいられなかったり。 https://t.co/QGHRUHsJmq
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 4月 25
先行する話のアンテナ周りでもちらりと触れているけれど、ネパールでの地震の件ひとつをとっても、さり気に、あるいはあからさまに日本を叩く、ディスるという枕詞的なものが直接入っていたり、それが前提となっている事案がある。日本が劣っているのは確かかもしれないけれど、それはそこでは語るべき話ではなく、むしろなぜそれと連動させるの? みたいな。
子供が大人から怒られる時に、何に対して怒られる時にもついで的に「いつもお前は遊んでばかりいて」「隣の●×ちゃんと比べてお前は出来が悪い」と言われたら、理不尽さを覚えるのと同じ。で、上の話を思いおこした次第。
@Fuwarin 「ニュース報道とはかくあるべし」として最終的に「みんな政治が悪い」「政権が悪い」と持っていけば溜飲を下げる視聴者層が一定数いるのでしょうか。
— 中乃井みあき/東北の科学 (@nakanoi_miaki) 2015, 4月 25
@nakanoi_miaki 確率論的に元々そのようなものを望む人は多分にいるのですが、その需要に応えるコンテンツを常時供給する事により、その思いを強化させると共に、境界線上にいた人を引きずり込ませたり、深層部分にひそめていた人の目を覚まさせる効果はあると思います。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 4月 25
@Fuwarin ポジティブで前向きな内容よりもネガティブで不満を高まらせるようなニュースをむしろ好む層はいるでしょうね。「俺はなんにも悪くない!真面目に生きてるだけだ!なのに暮らしは良くならない!誰が悪い!」その状態でニュースを見るとシンクロというか共感するのでしょう。
— 中乃井みあき/東北の科学 (@nakanoi_miaki) 2015, 4月 25
@nakanoi_miaki 好き嫌いもあるでしょうけれど。生物の生存本能的な部分の刺激...まぁ、下種な切り口を意識的、あるいは無意識的にやってるのかも、です。ポジな話は聞き逃しても損をするだけですが、ネガな話は聞き逃すと生死を分け得ます。だから皆耳を傾けるのです。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 4月 25
@Fuwarin ああ、それはあるでしょうね。あとネガティブな情報を聞くことでむしろ安心するというか、もやもやっとした不安感でいるところへ「犯人はこれだ!」と情報を与えられると、全く手がかりが無いよりも見えてくる分だけ不安が減る、というのもあるかもしれません。
— 中乃井みあき/東北の科学 (@nakanoi_miaki) 2015, 4月 25
@nakanoi_miaki 「妖怪の仕業」が好例ですね。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 4月 25
@Fuwarin 西洋なら「サタンの仕業」かと。アダムとイブに知恵を付けさせたぐらい大昔から悪のラスボスとしてメジャー中のメジャーです。
— 中乃井みあき/東北の科学 (@nakanoi_miaki) 2015, 4月 25
一つ一つは以前別の記事で言及していたけれど、大よそこんな感じで納得は出来てしまう。「政治が、国が悪い」といえば喜ぶ層が居る、ネガティブな話の方が生物の本能として注目されやすいのでビジネスとしては好都合、特定の悪者を仕立て上げることで安心できる(二分法的な、あるいは「妖怪の仕業」的な方法論)。加えるならば、特定の対象を攻撃することで満足感を「伝える側が」得られるというもの。「巨大な権力に抗(あらが)う俺様、正義を追求する私たち、カコイイ!」みたいな。
まぁ、人の欲はかくも罪深きものなり、というところかな。
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