「危険老人」という問題を考えてみる

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先日自転車でちょっと遠出して自転車優先歩道の話を取り上げた際にも、類似案件に遭遇しているので、改めて思うこと。指摘されているのは自動車だけど、自転車とか、荷物運び&杖的な利用をしているショッピングカートの利用者にも、危険行為が多い......というかよく目にするようになった。自動車事故関連の記事でも折に触れ、さらに【死亡事故率2.5倍、89%は「対策強化必要」...高齢運転者の実情】などのように統計データも複数出ているのだけど、実数も増えている。

増えてきたのは色々と理由があるのだろう。高齢者数そのものの増加。過疎化や身近な店舗が居住地域から減ることによる遠出の必要の増加。高齢単身世帯の増加に伴う、生活必需品の調達のための移動手段の利用必要性の増加。それら単なる数理的な問題(確率的には同じでも、母数が増えれば実態数も増加する)に加え、世代における性質的な問題、同一世代の社会的権威の底上げに伴う優位感を得た上での独善性の発揮。

事故の増加リスクに対処するのには、やはり歳云々ではなく、厳密に能力による精査を行い、資格を維持できるか否かの精査をするのが妥当なんだろうな。権威や経験だけで安全が確保できるわけではないので。


この辺りの話も特殊事例では無く、自分自身の経験も合わせ、少なからず遭遇しているから、理解が出来る。特に震災直後において、頭が痛くなるほど見聞きしたからね。何このおチープなお昼のドラマ的展開、みたいな。

以前からこの辺りの話も色々と分析がされている。単純に本人の気質の問題で、あとは上記にあるような確率論的なもの。それ以外に退職して生活環境ががらりと変わり、会社内での対応に心身共に慣れてしまった人が、一般社会においてもそれを維持し続けようとするためにおきるギャップ。

例えば定年退職を迎えた人の場合、多くは相応の地位にあり、部下を従えるお偉いさんだったわけで。それがいきなり権威も地位も無くなり、世間一般の人として社会に対面することになる。でもこれまで時間の多分を「自分は偉い」という会社環境の中で生きている人には、自分が「沢山の中の一人」であることに我慢がならない......という次第。「ここは往来の場で、あなたはお客ですよ」とツッコミを入れたらどうなるか。いや、多分何の意味も無いだろうな。注意を促して、それで気が付くような判断力を有していたら、そもそも暴走などしないだろう。残念ではあるのだけど。

ある意味、反面教師的な存在として認識されているのから、その点では良しとしなければというポジティブシンキングをしてみるけれど、変な解釈をして「店員にはあんな対応をしてもいいんだ」と覚えられると、それはそれで問題だったりする。

今後この類の話は増えて来るんだろうな、と思うと頭の痛い話ではある。

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このページは、不破雷蔵が2015年4月28日 06:52に書いた記事です。

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