「ポーの法則」ってのがあるのね、そしてパロディとマジ話の境界線の曖昧さへのリスク

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先日、ある事件に絡んで妙な方向への規制が云々というジョークを語る筋があり、事態が事態なだけに本人はジョークで語ったのかもしれないけれど、本気の話として受け止める可能性が多分にあり、それが困った事態を引き起こしかねないから、止めておくべきだという論議に至った中で出てきたのが「ポーの法則」。ハトポッポー、とか某プロレスラーの相槌的な掛け声とは別物かなと調べてみたら、やっぱり全く別物だったというもの。


というもの。要は元ネタが分かりにくい皮肉は、本人が高貴なブラックジョーク的なものとして語っていたとしても、マジネタとして受け止められかねないから、リスクが多分にあるものは控えるべきではないかというもの。これが例えば直接対面した上でのやりとりだったり、映像での展開だったり、ジョークシリーズ的な編纂資料の中での語りなら「ああ、これもジョークの類なのね」ってことが分かる。例えばモンティ・バイソンの劇中の話とか。

でもウェブ上のやり取りやり、ましてやソーシャルメディアなどでの語りのように、切り貼りが容易で前後関係の解釈が難しいような場での話となると、前提がふっとばされて該当部分のみが不特定多数に浸透され、ネタがネタとして扱われないリスクが格段に上がる。

物語などで良く使われる「高度な科学技術は魔法と区別がつかない」と同じ仕組み、と例えれば分かりやすいかな。方向性は異なるけれど。ハイセンスなつもりのジョークが、単に意味不明的なもの、首を傾げるようなネタならまだいいのだけど、マジ話として認識され、あらぬ方向に迷惑をかけるってのは、出来れば避けたいものではある。

パロディとマジ話の境界線をしっかりとするために、例えば「ネタ」「ジョーク」を同じ場所に配するとか、顔文字を使うとか意図的にするべき、なんだろうね。無論どこまでが「これなら分かるはず」「世間一般的に知られているからジョークだと認識できるもの」なのか、その線引きが難しいのだけど。

......ただ問題なのはこの点を逆手に取り、ホンネ、マジ話に見えるようなネタを意図的に繰り広げることで、利益を得る事例が多分にあったりする。タチが悪いのよねえ。

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このページは、不破雷蔵が2015年4月28日 08:08に書いた記事です。

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