①先日の「報道番組の映像のキャプチャの一部抽出による印象操作的『徴兵制』問題」でも痛感しましたが、情報の圧縮化に伴い、ますます「確証度が高そうな情報の切抜き」に惑わされないような注意が必要かなと思うようになりました。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 4月 28
そういや先日の8年間こん睡状態にあった男性のガセ話も、話そのものよりもイメージカット的に掲載されていた男性のインパクトが拡散の要因としては大きかったんだろうなあ......と思い返しながら。
ネットの普及で情報の蓄積やサルベージ、検索などによる検証が容易になったことで、いわゆる「化けの皮」的な権威による欺瞞情報の展開は、以前と比べると難しくなりつつある。一過性の強いメディア、例えばテレビや新聞、ラジオ、雑誌などではまだまだ有効だけどね(新聞や雑誌は一過性では無いとの意見もあるだろうけど、新聞・雑誌を保存しておいて繰り返し読む人はそれほど多くない)。
一方で、情報の圧縮化がデジタル、インターネットによって行われつつある。文章よりは音声や画像、そして映像の方が短時間で大量の情報を展開できるため、信用度もグンと高まる。情報量云々はそれらのデータをファイル化すれば、そのファイルサイズでよく分かるはず。信用度ってのは記事などで実際の写真があった方が印象度が大きくなるってので良くわかるはず。
でも、指摘している通り、情報の圧縮化に伴い、ますます「確証度が高そうな情報の切抜き」に惑わされないような注意が必要かなと実感せざるをえない。
昔は文章のみ、そして権威ある人が語ったと伝えれば、それを疑うことなく信じてしまったもの。でもメディアとして反復・検索・蓄積性のあるネットの普及で、見世物的な権威が使い難くなり、より確証度の高いように見える、情報量が圧縮された静止画や映像が、報道やアピールで使われるように。
「●×教授が語ったからコレは正しい」「あの国のメディアが語っているから間違いない」とあっても、「その教授ってでまかせばかりで放逐されてるじゃん」「その放送局って偏見や誤報が多いんだけど、その点は精査してるの?」とネットでは即時ツッコミを入れられるようになるわけ。他方、情景のワンシーンでしかない写真でも、その情報には大きなインパクトがあり、グイと引き寄せられる。
でも、だからこそ、切抜き、編集には注意を要するように。その場面は本当に正しいものか、コラでは無いのか。事実だとしても、その情報そのものと、それに添付されている説明は一致しているか。時系列的に情報と説明は正しいものか、昔のものが掘り返され、辻褄が合わないものではないのか。
例えばラーメン好きで知られる人が著名ラーメン店で食べている時にたまたまむせて、しかめっ面をしている時に写真を撮られ、「実はラーメンはお嫌い!? 不味そうに食べるA氏」などと報じられたらどうなるか? 写真としては正しくとも、情景を正確に説明したわけではない。
その場面の前後関係も合わせ検証された上での説明なのか。そしてもちろん使われているであろう権威は正しいものか。媒体の進化に伴い、読み手側はむしろこれまで以上に慎重になる必要があるのだろうな。
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