なんとなく。 子供時代って全てを自分が所有してると思ってるから、「買ってくれなきゃやだ!(当然自分の物だから)」とダダこねるんだろうな。
でも世界はそうじゃないことを知ってゆき、大人になってから買い物でストレス解消になるのは、元の「全所有」状態に一歩近づけるからかもしれない。
— ボマーン (@bomarn) 2015, 4月 29
先日の【変化する「移動可能限界点」は伸びる一方的なものではないという話】で挙げた、成長と共に行動領域が広がっていく云々ってのとちょっと関連性がありそうな話。
子供時代は物事に対する知識が曖昧で、行動範囲も狭く、区切りってのがあまり明確化されていない感がある。現実と自分の考えの境目も結構曖昧。したがって自分の目に留まるものはすべて自分の管理下にあるという思惑を持ってしまう。そこまで明確化されたものでなくとも、「実はこの世界は自分が主人公の物語的なものだ」なんていう妄想......というか考え。誰もが一度や二度は経験したことがあるはず。だからこそ、幼少時には「自分が主人公」って感じのゲームや漫画に人気があるんだろう。
領域が曖昧で自分が神様的な存在だと認識しているから(そして多分に保護者は子供を甘やかす)、自分の思い通りにならないと駄々をこねる。また弟や妹が生まれると「自分が世の中の主人公」という前提が崩れてしまうのでへそを曲げる。なるほど、色々と辻褄が合う。
で、成長して知識を得て経験を重ねるに連れて、世界は自分を主人公にした物語で無いという現実を思い知らされるに連れて、段々と醒めてしまう。それが大人になるってこと、なのかな。その一方で、かつて子供の頃に抱いていた「目に見える、手の届くものはすべて自分のもの、息がかかったもの」的な幻想に、大人買いなら近づくことができる。それゆえに、ストレス解消になるってのも、よくわかる。ミニチュア作りとかコレクションとかも、その感覚があるんだろう。
超がつくほどの富豪が世界を圧縮したような庭園を創ったり、絶対に自分が着尽くすことは出来ないであろう服を揃えたり靴をずらりと並べたりするのも、その「世界をこの手に」的な支配欲、征服欲的なものがあるかもしれない。
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