小説のドラマ化に関して講談社とNHKが裁判をしている件、その内容が結構アレな感

| コメント(0)
裁判では、原作の改変がどこまで許されるかが焦点となった。原作は「母と娘」がテーマで、主人公は母親との葛藤があり、物語の終盤まで会いに行けないという設定。だが、脚本では、初回で娘が実家に立ち寄るなど、大きく改変されていた。辻村さんは講談社を通じ複数回にわたって修正を要請していた。


NHKは、訴状で「脚本家が最初に考えた原作の変更点のうち、半分程度は脚色の必要性を説明することで原作者に納得してもらい、残りの半分程度は原作者の意向を優先して脚本家が脚本を書き直すというのがテレビ業界では一般的」と説明。NHKの担当者は「放送局として我々が作る編集内容に関して第三者が口を出せることを認めてしまうこと自体がほとんど検閲にあたる」と証人尋問で訴えた。


今件は上記報道がなされた時点で色々と首を傾げる人がいたり、結構きな臭い話ではないかな、という感はあったのだけれど、講談社側の解説リリースが出されてその内容が公知されるにつれて、単なるきな臭さでは済まない雰囲気が出てきた次第。


テレビってのは4マスの中でも特に大きな影響力を持つので、その内容がいかなるものであっても、原作がテレビ化されれば膨大な宣伝効果を生み出す。だからこそ「テレビ化するんだから文句はいうなよ」的な不文律、さらには文面化......はされないだろうけれど口頭なりでのオールマイティーカード的な権限施行ってのは多々行われている感はある。傍から見てもそのような事態の結果なんだろうなあ、という状況は良く見受けられる。今件はそれがモロに暴露された形ではないかな。

一方でNHK側の態度が全体としての意向なのか、それとも制作部局やプロダクションレベルでの功の焦りから来た暴走なのか、少々見極めが難しいところがあるのも事実。NHKサイドの反論がまだ無いからね。

ただこのような話が出てくること自体、テレビ化することの絶対的な効果ってのが、昔と比べると小さくなってきたのかなという気はする。少なくとも無敵カードとして振り回して有無を言わせないってことは、条件次第ではあるけれど、出来なくなったということだから。そして状況が暴露されてしまった以上、視聴者などが抱いていたわだかまり、もやもやが一部ながらも晴れてしまった。「これまでも似たようなことはあったんだろうな」と。

指摘にもあるけれど「NHKの担当者は「放送局として我々が作る編集内容に関して第三者が口を出せることを認めてしまうこと自体がほとんど検閲にあたる」」と表したこと。これは非常にマズイ。これが事実だとすれば、報道などにおいてはセンシティブな話である「検閲」について、報道サイドが自己の都合の良いように使いまわしているということを自ら明らかにしてしまったことになるのだからね。

関連記事             

コメントする

            
Powered by Movable Type 4.27-ja
Garbagenews.com

この記事について

このページは、不破雷蔵が2015年5月 1日 07:53に書いた記事です。

ひとつ前の記事は「今年も出てきた「40度超の猛暑警告なテレビニュース画面」は昔のネタです」です。

次の記事は「選挙カーの効用と保育園の「子供の声」と」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

* * * * * * * * * * * * * *


2021年6月

    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30