元教育職として、基礎が出来てない土地に豪華な建物を建てようとする教育論は片っ端から潰す必要性を感じる。
— シュネーヴァイス (@5chneewei55) 2015, 5月 6
学校が、ただの学業の場でなくなり、集団生活を営む上での幅広い教育の場になりつつある今、教師は学問の専門家ではいられないし、教員向け指導書の受け売りしか(能力的 or 時間的に)できないよ。ただ教科書の出来がいいのと、勉強=暗記って風潮が基礎教育と相性いいからそこそこ効果出てるよ。
— シュネーヴァイス (@5chneewei55) 2015, 5月 6
基礎教育っていうのは、一言でいうと昔のエラい人たちが発見・発明してきた原理を学び、3000年ぶんくらいの文明の叡智を10年そこそこで吸収することだよ。必然的に暗記中心だよ。逆にいうと、基礎教育を軽んじることは、3000年ぶんの人類の叡智を軽んじることだよ。
— シュネーヴァイス (@5chneewei55) 2015, 5月 6
具体的に何を指しての指摘なのかは複数思い当たる筋があるし、どれかを特定した話でもないような気はするのだけど、特に日本ではこの「基礎教育、学問、研究」部分への軽視の傾向があるので、ちょいと覚え書きも兼ねて。
暗記中心の基礎教育を軽んじる、ないがしろにする、優先順位を下げるってのがカッコイイ、個性豊かにする、教育の本質だ云々ってのが提起され、それの体現化がかつての「ゆとり教育」みたいなものだったのかなあ、という感はあるけれど、個人的には例の「文化大革命」ばりのマイナスレベルの破壊力があったという感想。もちろん効果もあったけれど、プラスマイナスを天秤にかければ、マイナスの皿の方が思いっきり下がりまくるに違いない。
柔軟な発想力は基礎部分の知識が無ければ創生できない。自由な造形を積み木で作るにしても、元々の積み木のパーツが無ければ出来ないし、形の組合せによっては安定感が無い状態となるなどの経験や知識が無ければ、発想を体現化できない。いや発想そのものも難しくなる。
先日の「高校時代の家庭科の教科書が必要」云々って話にも通じるところがあるな。基本は大切。そして基本は多分に暗記となる。
基礎教育ってのは先人の知恵が凝縮された「虎の巻」。昔、ある漫画で読んだ言い回しに近いものがある(ちょいと書庫に埋まっていて見つからない)。同じものをゼロから習得すると、やはり同じ位の時間と努力が必要。それを数年でゲットできるのだから、これほどステキで公認されたインチキ技は無い。軽んじるのはスットコドッコイ。だからこそ、先人の技術、権威は大切にしなきゃならないし、それを悪用するのは許し難い所業に他ならない。
3000年の歴史の中でそれぞれの時代の天才たちが成し遂げた綺羅星の如き業績を、小・中・高校12年間で駆け抜けるって聞いてビビらなかった人だけが、暗記中心の基礎教育を軽んじていいよ。
— シュネーヴァイス (@5chneewei55) 2015, 5月 6
正にそんな感じ。詰め込みと言われようが何だろうが、それが効果的なものだったことに違いは無い。
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