量産システムと職人芸、二者択一では無いし、どちらかのみが必要ってわけでもない

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量産システムの発想や必要性が日本ではあまり用いられていなかった云々ってのは良く聞く話で、そのもっとも象徴的な事例が太平洋戦争におけるあれこれ。ただ、それでは技術者は必要なくなるってのと同意になってしまうし、量産体制に移行する前段階の環境が創生されないし、量産するのに必要な環境・状況に至らない対象は生産されなくなってしまう。大量生産・大量消費が前提とされるものならそれでも良いのだけど(まさに兵器が好例)、世の中それだけじゃないしなあ、要はケースバイケースだよな......という想いは前々から持っていて。そのもやもやが何となく晴れたのが今件の流れ。

要は量産システムは必要不可欠ではあるけれど、同時に少数生産、一品ものも必要。どちらか一方だけでは産業、世の中、業界自体は回らない。


3Dプリンタの例えが良い例で、技術の進歩、量産システムの構築で不必要になる部分も出て来るには違いないけれど、蓄積された技術や経験、ノウハウが必要な部分はなお多く存在するし、第一量産システムそのものも逐次新しいものに変わらないと提供される物品はずっとそのままになってしまう。で、その新しいシステムはだれがどのようにして作るのかな、とか。

また量産システムにしてもその多くは、それこそチンパンジーがボタンを押すだけで作れるような簡易化がなされているわけでは無く、それなりに技能を有するものが多い。そして汎用化し、作り方を簡単にすればするほど、柔軟性には欠けてしまう。最初に立ち返って兵器の件にしても、日本に量産システムの構築や、それを作り出すための品質管理やルール作りの概念に乏しかったのは事実だけど、それを必要としていなかったってのも一因だし、したくても出来るだけの技術や資材に欠けていたってのも否定は出来ない。

或いは見方を変えて。日本の商品の高品質云々って話は、この部分、つまり完全に量産体系化された、汎用的なシステムで作れたものでは無い、何らかの技術者的な観点が加わった部分が、価値としてプラスαされているってのも一因じゃないかなあ、と思ったりする。マニュアルスペックには表れていない部分が、実態として表れる。例のファストフードにおける御客離れ周りで言及した、「数字としては直接的には表れない部分の付加価値」的なもの。

で、これに絡んで。量産品云々ってのから派生する形で。


土俵が同じになれば、かえって技術の本質部分が目立つようになる。昨今の報道周りの問題における原因の一つとされる、「かつて報道が有していた特殊技能、特権が誰でも手に入るようになった」ってのは、この道具周りの話と連なるところがあるなあ、という気がしてならない。となれば、やはり報道周りで問題視されている事案は、質が劣化したのではなく、元々質がいまいちだったのが暴露されただけだったんだろうな。

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このページは、不破雷蔵が2015年5月11日 07:18に書いた記事です。

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