第二次大戦当時プロペラ設計者だった佐貫亦男がドイツの工場を見学して「ドイツの技術レベルの高さは白髭の職人たちが支えているわけではなく、日本の工場なら1台しか無いような工作機械を山ほど並べて普通の人が作業して達成していた。日本人の発想では駄目だ」みたいなこと書いてた。
— 鴨澤眞夫 (@kamosawa) 2015, 5月 8
まさにこれ。職人技をありがたがるってのが不思議なんです。 https://t.co/Gta7EQNm7R
— suzuki hiroco (@hiroco2003) 2015, 5月 10
一品物を作るには今でも職人技が必要なシチュエーションが多々存在する。 要するに「量産清貧はサルでも作れないと駄目」って事。
この点勘違いしてる人が多いので注意ね。 装置産業も一品物の職人技もどちらも産業には必要であって両輪の関係なのです。 技術に疎い人は勘違いしがち。
— 御神楽 舞 (@mikaguramai) 2015, 5月 10
量産システムの発想や必要性が日本ではあまり用いられていなかった云々ってのは良く聞く話で、そのもっとも象徴的な事例が太平洋戦争におけるあれこれ。ただ、それでは技術者は必要なくなるってのと同意になってしまうし、量産体制に移行する前段階の環境が創生されないし、量産するのに必要な環境・状況に至らない対象は生産されなくなってしまう。大量生産・大量消費が前提とされるものならそれでも良いのだけど(まさに兵器が好例)、世の中それだけじゃないしなあ、要はケースバイケースだよな......という想いは前々から持っていて。そのもやもやが何となく晴れたのが今件の流れ。
要は量産システムは必要不可欠ではあるけれど、同時に少数生産、一品ものも必要。どちらか一方だけでは産業、世の中、業界自体は回らない。
@mikaguramai 判ってないというか極論に走りがちなんですよねぇ。3Dプリンターの普及により切削職人が不要になるみたいな理屈。
— 三重県民(じゅうななさい) (@Mie_Kenmin_MK) 2015, 5月 10
@Mie_Kenmin_MK マシニングセンター、CNCマシンどっちも出てきた時、同じ感じで「職人失業www」って笑うアホだらけだった事を思い出すねぇ。 しかもそんな事言って騒ぐ奴が大概無関係な連中というw
— 御神楽 舞 (@mikaguramai) 2015, 5月 10
@mikaguramai @Mie_Kenmin_MK NC工作機械ってクソオペの手にかかるとやっぱりできあがる物も糞になると昔生きていた頃の父が仰った事があります。
— もするさ (@CLONE_P0806) 2015, 5月 10
@CLONE_P0806 @Mie_Kenmin_MK NC使いにも職人技があって、加工順序で制度が出ないこともあるんだよねぇ。
— 御神楽 舞 (@mikaguramai) 2015, 5月 10
@CLONE_P0806 @Mie_Kenmin_MK 加工による発熱で僅かに形が変わって加工寸法が変わる...そんな世界なのです、精密加工の世界は。
— 御神楽 舞 (@mikaguramai) 2015, 5月 10
結局アレかな。高品質な調理器具と食材があっても、美味しい料理を作れるとは限らない、とか。同じ材料と公開されている処方があっても、同じ効用の薬剤を作れるわけではない、とか。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 5月 10
ノウハウ(経験値?)の蓄積量の差だと感じます。>RT
— TETSUYA2754 (@TETSUYA2754) 2015, 5月 10
自分の仕事の場合だと、製作から組み付け、保守点検までの作業を全て織り込んで設計しなきゃならないので、いろんな現場の職人さんに怒られた経験を生かせないと仕事にならない。
— TETSUYA2754 (@TETSUYA2754) 2015, 5月 10
まあ、今はその現場も海外に行っちゃって、海外の設計者さんを安く使えるみたいなんで、納期や予算が火達磨になったような仕事しか無い。そういう仕事はまた別のノウハウがあるんですがね。
— TETSUYA2754 (@TETSUYA2754) 2015, 5月 10
3Dプリンタの例えが良い例で、技術の進歩、量産システムの構築で不必要になる部分も出て来るには違いないけれど、蓄積された技術や経験、ノウハウが必要な部分はなお多く存在するし、第一量産システムそのものも逐次新しいものに変わらないと提供される物品はずっとそのままになってしまう。で、その新しいシステムはだれがどのようにして作るのかな、とか。
また量産システムにしてもその多くは、それこそチンパンジーがボタンを押すだけで作れるような簡易化がなされているわけでは無く、それなりに技能を有するものが多い。そして汎用化し、作り方を簡単にすればするほど、柔軟性には欠けてしまう。最初に立ち返って兵器の件にしても、日本に量産システムの構築や、それを作り出すための品質管理やルール作りの概念に乏しかったのは事実だけど、それを必要としていなかったってのも一因だし、したくても出来るだけの技術や資材に欠けていたってのも否定は出来ない。
或いは見方を変えて。日本の商品の高品質云々って話は、この部分、つまり完全に量産体系化された、汎用的なシステムで作れたものでは無い、何らかの技術者的な観点が加わった部分が、価値としてプラスαされているってのも一因じゃないかなあ、と思ったりする。マニュアルスペックには表れていない部分が、実態として表れる。例のファストフードにおける御客離れ周りで言及した、「数字としては直接的には表れない部分の付加価値」的なもの。
で、これに絡んで。量産品云々ってのから派生する形で。
3Dプリンタがあれば誰でも物作り云々の話が出る度に「プロアマが同じ機材を使えるようになるなら余計にプロの仕事が際立つようになる」って答えたプロカメラマンの話を思い出す
— もくめ@イベント完 (@Bass_mokume) 2015, 5月 10
成程。報道や知識人、ジャーナリストと呼ばれる方々の失態が目立つようになったのは、これと同じ理由なのですね。「プロアマが同じように情報発信が出来るようになるのなら、余計に(本当の意味の、質を有する)プロの仕事が際立つようになる」。http://t.co/ZPffvUWSB9
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 5月 10
土俵が同じになれば、かえって技術の本質部分が目立つようになる。昨今の報道周りの問題における原因の一つとされる、「かつて報道が有していた特殊技能、特権が誰でも手に入るようになった」ってのは、この道具周りの話と連なるところがあるなあ、という気がしてならない。となれば、やはり報道周りで問題視されている事案は、質が劣化したのではなく、元々質がいまいちだったのが暴露されただけだったんだろうな。
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