以前のピアノの先生は、「小さい頃のほうがコンクールで受賞がしやすいから!」と、3歳?小学校低学年ぐらいの生徒を次々にコンクールに出し、実際に受賞させてしまう先生だった。教室の生徒たちは譜面も満足に読めないのに、「コンクール弾き」という独特のテクで賞を総ナメ状態。
— モビゾウ (@Movizoo) 2015, 5月 13
ところが、だ。小学校高学年、中学生になると、それまでコンクールで賞を総ナメにしてきた子供たちが途端に箸にも棒にもひっかからなくなる。「コンクール弾き」という基礎をすっぽ抜かした表層のテクが通用しなくなるのだ。
— モビゾウ (@Movizoo) 2015, 5月 13
これ、結構残酷なハナシで、自我が芽生える時期に、結果が出なくなるという。
— モビゾウ (@Movizoo) 2015, 5月 13
ムスメの今のピアノの先生は丁寧に丁寧に楽典とテクニックを教え込む。最初は遅々として進まぬ授業にイライラしたりもしたが、ムスメが「楽譜を見て意味が分かるようになった!!」と言って、練習に私が付き添わなくても良くなった。あのときは驚いた。先生のレッスンの意味が分かった。
— モビゾウ (@Movizoo) 2015, 5月 13
今の先生がムスメに言ったこと。
「よっぽどのことがない限り、お母さんに聞かないこと。自分で考えて弾きなさい。」
先生は私にこうおっしゃる。
「私は大人になってピークがくるピアノを教えています。」
なるほど、私のなかで全ての謎がとけたのである。
— モビゾウ (@Movizoo) 2015, 5月 13
先日帰省した折、ムスメの以前のピアノの先生のお教室で、相変わらず小さな子供たちがコンクールで賞を総ナメにしていることを知った。でも私は焦りそうになる気持ちをグッと抑えた。「今じゃない。待とう。今の先生のやり方を信じよう」
— モビゾウ (@Movizoo) 2015, 5月 13
再掲だが、このページを読んだおかげで、私は「今じゃない。待とう。」と思えるようになった。これは育児全般に役立っている。- http://t.co/gdPF3eMqBc 「伝統的なメソッド vs 新しいメソッド」
— モビゾウ (@Movizoo) 2015, 5月 13
子供のうちは色々な賞を総なめしたにも関わらず、成長するに連れて他の子供の中に埋もれてしまい、成人に至るに「その他大勢」的な存在になってしまう。昔は神童、今はただの人、みたいな。実の所この類の話はあちこちで見聞きする。「あくまでも狭いコミュニティの中では優れているように見えるけど、大きな母体の中ではごく普通の、ちょっと良い程度の存在ってことなのかな」とこれまでは思っていたのだけど、今件の指摘で、色々と合点がいった。
確かに子供、幼少時は柔軟性が極めて高く吸収力もスポンジのように長けているので、パターン化したものを教え込ませればそれを習得してしまう可能性は高い。それは生物にとって生き延びるための知恵でもある。今後長い間生きていくために必要な知識を一刻も早く習得するため、記憶力、習得力に長ける必要がある。だから「これをやればほめられる、賞が採れる」という様式があれば、それを教え込ませればパターンに乗れる次第。
今件はピアノの話だけれど、例えばテスト勉強として「この先生はこの類の話を問題として出しやい」ってのを覚えておくと高い点は採れるけれど、テストが終わればからきし忘れてしまう。でも教科書や問題集を使って全体的に勉強したものは、テストが終わっても残っている。基礎力として身につくから。暗記モノもそう。特定部分だけ、テストに出そうな部分だけってことで覚えると、大抵終わった瞬間に脳内から消失してしまう。
ムスメの今のピアノの先生は、「ピアノの楽曲というのは指の動かし方にパターンがある」と言って、そのパターンを順番に教えていってくれている。そのときの力のかけ方、抜き方まで道具を使って逐一教える。おかげで、かなり指を早く動かす必要のある曲も、ムスメは指が動くようになった。
— モビゾウ (@Movizoo) 2015, 5月 15
以前のコンクール漬けにさせる先生は、「ムスメちゃんの指の動きが悪いのは、ご家庭で使っているピアノが悪いからだ」とおっしゃって、「知り合いの楽器店まで同行するので、一緒にピアノを買いましょう」と言われた。これにはさすがに参った。
— モビゾウ (@Movizoo) 2015, 5月 15
「バイオリンの場合、成長に合わせて買い換えなければならない。私は自分の子どものバイオリンにもう既に一千万はかけている。ピアノだったら一台でいいから安いものでしょう。とにかくムスメちゃんのために買い換えましょう」と。
— モビゾウ (@Movizoo) 2015, 5月 15
あれはなあ、裕福な地域だったから、先生はあのスタンスでやっていけたんだろうなあと思う。コンクールだって、かなりお金かかりますよ。予選本選に一万円ずつ、それに追加レッスン料。それでも親は、先生に言われるがままに出しちゃう。ピアノを買い換えろ子どものためだと言われたら、出しちゃう。
— モビゾウ (@Movizoo) 2015, 5月 15
お金を惜しまず使って、いい楽器買って音楽が出来る人ばかりじゃない。だけど、経済状態住宅事情問わず、努力で「基礎」と「テクニック」は身につけられるんですよ。音楽を誰もが楽しんで欲しい、そのために万人が楽しめる方法を模索していらっしゃるのが今の先生だったわけです。
— モビゾウ (@Movizoo) 2015, 5月 15
問題なのはこの指摘の事例の場合、「賞をとれる」に固執した先生側がそれを問題のある手法だと認識していないこと。むしろ正しい、誇らしいものである、正当性のあるものという考えすらもっているかもしれない(まぁ、気持ちは分からないでもない。テンプレ化できるし、金は稼ぎやすいし、短期間で結果は出るし、結果が出ればご褒美ももらえる)。賞にしても試験にしても、それを取得したりクリアすることは最大の目的では無くて、そこからが本当の地獄、じゃなくてスタートなのに、そこでエネルギーを消耗しつくしてしまう。燃え尽き症候群みたいな感じ。
自分自身のやり方、切り口としてはもちろんだけれど、第三者への教示の機会がある場合にも、 「伝統的なメソッド vs 新しいメソッド」の話は一度ならずとも目を通しておいた方がよいんだろうな。
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