むしろ、金より大事なものが、って言い出す人ほど信用できない。
それをいう人は金に困ったことがない人だから。 https://t.co/koYItKfJbk
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2015, 5月 16
「カネより大事な物が」なんて仕事で言い出す人は信用ならないよねえ...
『仕事として』やるのだから報酬は発生するし、善意なんかあてにして仕事にしたら思わぬところでコケるもんです。
システマチックに動いて初めて仕事になる。 https://t.co/0iIJ7jEmYZ
— KGN (@KGN_works) 2015, 5月 16
@azukiglg カネは近代世界の共通の言語なので、それより大切なものが、という人とは意思疎通が不可能なのです(真顔で)
— やらか堂@ままならねーです (@yarakado) 2015, 5月 16
先行する学校教育でのお金周りの話と絡む内容ではあるのだけど。公共的意味合いのある事象に対しては特にその傾向が強い、「お金より大切なものがある」という言い回し。ケースバイケースではあるのだけど、往々にしてこの言葉が使われる場合ってのは、都合の良い解釈がなされてしまう。「お金より大切なものがある」「だからお金は払わなくてもいいよね、安くてもいいよね」的な。
ここ1、2年語られるようになった「脱成長論」でも見られる傾向だけど、このような語りを積極的に口に出すサイドってのは結構な割合で当事者自身はお金に困ったことが無かったりする。
「衣食足りて礼節を知る」ってのは、まず最初に衣食が足りるという前提があるのだよ、と。
だから現在の、『働き手の善意に全面的に依存してる』医療システムって怖いと思うわけですよ。
善意が尽きた時が無理して維持してたシステムの崩壊する時だから。
そして、『善意はいつか必ず尽きる』。それを当然だと思えば思うほど、尽きるのも早くなる。
— KGN (@KGN_works) 2015, 5月 16
で、「善意に頼らない」を基本とすべき(社会インフラだからこそ、確実にする必要がある)システムだからこそ、先日話題に出てた「産婦人科医4.2人分の仕事があるのに2人しか雇うつもりの無い自治体」vs,「あくまでも4人分の給与を払えと要求する派遣元」では、派遣元が正しいというわけ。
— KGN (@KGN_works) 2015, 5月 16
「二人で頑張れ、死ぬまで頑張れ、善意と努力で何とかしろ」vs,「仕事量は4人分なんだからそれ以上まからん」なわけね、あれ。
善意と努力でなんとかするのは業務では無い。
— KGN (@KGN_works) 2015, 5月 16
@azukiglg 「金より大事な物が」と当たり前のように言う人は、何か裏の真意がある人か、頭の中にお花畑しかない人だ、と、限界スレスレまで金に困った経験のある私は強く主張しますね。
— GIMA(ギマ) (@gimatetu) 2015, 5月 16
金より大事な何かを守るためには金が掛かるんだよ。
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2015, 5月 16
「金より大事な何か」だからこそ、お金に(極力)糸目をつけないで守ろうとするんですよねえ...防衛費ってまさにそれ RT @azukiglg: 金より大事な何かを守るためには金が掛かるんだよ。
— めがはくまに級補給艦@佐世保鎮守府 (@haku_mania_P) 2015, 5月 16
あ、「善意で仕事をするな」に対して、「それでも!」てコメントしてる人がいるな。
他人の命を預かるのに、そんな根性論なんて安っぽい正義感を振りかざすな、てことです。
安ものの正義感で潰れる事は悪。
— KGN (@KGN_works) 2015, 5月 16
社会インフラの部品である事、かつ、消耗した時の予備パーツはなかなか入手できない事、をよくよく自覚しないといかん。
消耗して潰れたら、下手すりゃ地域の医療が潰れる。
『今一瞬の善意』でシステム崩壊を招くリスクを冒すな。
— KGN (@KGN_works) 2015, 5月 16
頑張れば何とかなる、というラインもどんどん踏み越えていってはいけない。
「こないだ頑張ってなんとかしたろ、もっとやれよ!!」
と悪循環に陥るのが医療業界でもあるからね。
線引きはしっかりしないと、10年後にシステムが崩壊している事になりかねん。『今、善意で出来る』は悪でもある。
— KGN (@KGN_works) 2015, 5月 16
この「人の善意を前面に押し出す手法」の問題点は、それが正当化されているように見えてしまうこと。断ると逆に何か悪いような雰囲気を当事者にも周辺にも覚えさせてしまうこと。無限の額面を持つオールマイティカードのような振る舞いをしてしまう。
お金ってのは数量化できる、数字として比較ができる物差しの事。その物差しを使わずに何かを判断しても良いのは、それによって「ぶれ」が生じる余裕がある時だけ。そして一度その「ぶれ」を悪用されると、じわりと確実に、その傷口は広がっていくのだよね。以前解説した「オマケ」と「値引き」の話にも共通する部分があるかな。
コメントする