専門家の権威と井の中の蛙と「ネットの世界は広大だわ」と

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小中学校は押し並べて学区制が取られているので、日常生活の世界観も大よそ自分の居住地域周辺に限られる。大よそ自分の世界は自分の家からキロ単位の範囲でしかない。その世界の中でちょっと能力に長けている部分を見出されたり、ちやほやされると、有頂天になったりする。

でもそれは大よそ、高校、大学に至り「自分は井の中の蛙だったんだ」ってのを知ることになる。自分の知らない領域には山ほど自分クラスの人がいて、自分は自分の小さな世界の中におけるハイクラスであり、世界全体ではワゴンセールの商品的存在でしかなかったことに気がつかされる。

そして指摘の通り、インターネットはこの「小中学生ぐらいまでにおける世界の閉塞感」までも取り払ってしまった。そして以前は大学生、大人になっても構成されうる「限定世界」的な領域もぶち壊し、多様な人の実情を知り「自分はでっかい世界の一要素でしかない」ことを改めて認識する。

自分の能力、知識、その他なんでもいいけど、他人に誇れるような観点について、絶対的なものを自覚するのならともかく、他人との間の相対的な面での自信であるのなら、相応の謙虚さを持ち合わせることは欠かせない。「クラスで一番」とドヤ顔しても、ネットを使えばあっという間に「全国区ではあんたはむしろ下の方」なんてことが判明してしまうかもしれない。


特定の専門業に限っても同じ事。その界隈の資格を有している、教職についているといってもその筋でナンバーワンの技能を持つわけではない以上、ドヤ顔するとヘタを打つリスクはある。下手をすると専門業では無い人から、その分野において指摘や教示を受けることもあるかもしれない。ましてや専門外の内容ならば、より多くの技能を、知識を、経験を持つ人にツッコミをされても何ら不思議では無い。資格や肩書は実力を精査する際の材料にはなるだろうけど、それを担保する材料には......最近は特にあまりならない。

恐らくは確率論的な問題と、インターネット特有の検索・可視化によるところが大きいのだろうけど、特定分野の有資格な人が他の分野でオイタをしてしまったり、その得意分野を悪用......としか見られないような使い方をして顰蹙を受ける事例を結構な頻度でみかけるようになった。

「世界は広大だわ」の言葉の通り、インターネットで得られる世界の広大さを十分認識し、謙虚な姿勢で世の中の情報に触れて活用し、むしろ自分の見識をより広めるようにした方が、大人として、人間として、正しい姿勢ではないかな、と思うのだけれど。

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この記事について

このページは、不破雷蔵が2015年5月18日 07:46に書いた記事です。

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