いじめられて我慢しきれずに反撃しても「喧嘩両成敗」となる理不尽さ、さらには......

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教育の上では公平感を前面に出さないと色々と問題が生じるのと、教師がすべての状況を把握しているわけではないので、目の前の事象で判断しなければならないことが多いから、どうしても「どちらもアウト」的な判定が下されやすいのだけど。当事者側からしてみれば、これは理不尽極まりない事例となることが多い。

指摘の通り、いじめを受けてすぐに反撃が出来るような状況、環境、力関係ならば、そもそもいじめはほとんど起きえない。力関係にアンバランスさがあるから、反撃しにくい環境があるからこそ、発生しうる。そしていじめられている方がどうしようもなく、ボーダーラインを超えたのを認識して反撃をしても、「どちらも悪い」と第三者、子供達から見れば絶対権力者に等しい教師に認定されてしまうと、その反撃の手段すら奪われたのと同じとなってしまう。

さらにいじめる側は多分にいじめ行動を経験し、学習しているので、自分が糾弾されるのを避ける方法も熟知している。あるいはそれを熟知している(かそもそもそのような立場を有している)からこそ、いじめ側に立っている。結果としてもたらされるのは、いじめる側のいじめ得・いじめられる側の反撃損。


無論ケースバイケースではあるのだけど。刑事事件やそれに近い形で世の中に露呈される事案を見る限りでは、世の中の不条理を味わっている「いじめられる側」の人が多数いる感はある。多数の人によって社会生活が営まれる以上、ある一定率は仕方ない部分があるのだけど、それでもなお最善は尽くされるべきではあるし、「いじめられる側」において救われるルートはいくらでもあるとの情報の周知がなされるべきだとは思うのだけどね。

まぁ実際のところ、一案として大人は気軽に引っ越すとか学校変えるとかっていう話をしてくるけれど、子供達にしてみれば「それはまずありえない」レベルの問題だからなあ。大人ならば「海外に引っ越す」レベルの話になるんだよね、それってさ。

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このページは、不破雷蔵が2015年5月19日 07:30に書いた記事です。

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