「若者の●×離れ」はむしろ「若者に見捨てられた●×」ではないかという提案

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自動車に始まり、住宅や新聞、雑誌など、従来大量に消費購入されていた対象のセールスが落ち込んでくると、必ずと言ってよい程その理由に挙げられるのが、この「若者の●×離れ」。その言葉単独ならまだしも(単なる事象の簡潔的表現だからね)、大抵はその言葉自身が中堅層以降、特に壮齢層によって否定的に語られ、さらに「自分達が若い頃は借金をしてでも買ったもの」「何で消費しないの?」と糾弾される。そりゃ対象となる若年層がキレるのも無理はない。

【クルマからスマホへ...若者のパートナーの変化】など複数の記事で解説しているけれど、「若者の●×離れ」の多くは単に周辺環境、具体的には消費性向、競合商品やサービスの登場、可処分所得の変化などによって生じた、消費スタイルの変化が原因。昨今ではその流れが加速度的なものとなっているので、ギャップの生じ方が大きく、上の世代が状況を把握しきれなくなっているだけ。まぁ、要は、マーケティングが上手くできていないってこと。状況を例えると、明治時代の人に対して江戸時代の人が「若者のちょんまげ離れ」と嘆いているのと同じ。

特に「若者の●×離れ」との言葉で挙げられ、若年層にも一層買ってほしい、使ってほしい対象ってのは、実のところ、その需要変化に対応しきれていないものが多い。だから指摘の通り、
「離れ」というよりは「見捨てられた」「必要なかった」さらには「必要が無くなった」と見た方が良いものがたくさんある。実際には都心部で生じている「若者の自動車離れ」、また場所を問わずに発生している「若者のテレビ離れ」が好例だよね。

当方が「若者の●×離れ」との言葉を使う際には、若年層を卑下する意味合いは毛頭ない。それは今件のようなことを認識しているから。時々勘違いする方がいるので、ちょっと覚え書きとして。

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このページは、不破雷蔵が2015年5月19日 07:07に書いた記事です。

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