子供は親のコピー品ではない...親の感性と子供の感性

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自分が好きなジャンル、対象を他人も同様に、さらにはそれ以上に好き好んでくれる様相を観ていると、それだけで嬉しさがこみあげてくる。自分の趣向を理解してくれた、共通認識を持つ人がいることの確認、一体感......まぁ、表現方法は色々あるけれど。音楽や漫画といったエンタメ系の話では特に好き嫌いが分かれるので、同好の士を確認出来たときの喜びといったら、もう、ね。

それが自分の子供だった場合、心境はちょっと複雑になるってのも理解はできる。素直に同じ趣味を持てることの喜び、自分の子供であることの再認識、そして同時に、自分のかつての姿を子供を通して観ているようで、色々と思うところが出てくる、と。自身の姿を第三者的な視点で見ているような。


むしろ今件はこちらが本題。保護者と子供の間で感性が異なるのはごく普通の話。遺伝子的にはつながりを見せても、同一人物では無いことに違いは無い。当然同一対象に抱く想いが別のものになるってことは多々ある。その時、親側の子供への対応、態度、姿勢は、子供には大きく影響を与え得る。親側は他の大人に対するちょっとしたしぐさと同じような反応だったつもりかもしれないけれど。

子供にとって親ってのは、自分自身の生活を保障してくれる存在であり、色々な社会知識を教えてくれる先生であり、自分と生物学的にもつながりのある、上位的存在。宗教における神様的なポジションにあると見てもよい。そのような立場の人に自分の趣味や感性を褒められたら素直に喜べるし、小ばかにされたら友達にツッコミを入れられた時とは比べ物にならないほどのショックを受ける。

子供は親の所有物では無い。よく言われる言葉だけれと、物理学的、倫理的に問題を有している事柄、保健医療に係わる話ならともかく、感性の面での良し悪しってのは親子であっても尊重しあうべき。その点を忘れて、親が子供に自分の感性を強要すると、子供の感性は成長を止めてしまいかねない。気を付けねばいけないことだけれど、「しつけ」と称してついやってしまいがちであるのも事実だったりする。

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このページは、不破雷蔵が2015年5月24日 06:50に書いた記事です。

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