軍の教練と学校教育とひとを育て上げる意味と

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最近はネタ的話題も突発性というか流行り廃りがスピーディーで(この辺りの話は以前もしたと思うけど、一つの事象が有する浸透拡散性のエネルギーがネット界隈のツールで時間的に圧縮されている感じがする)、もうこのネタ自身が当事者以外は「そういやそんな話も先日あったっけ」的な感じがするのだけれど。恐らくは半年から一年も経たずに似たような話がぶり返す可能性があるので、覚え書きとして。

学校教育を軍隊みたいなものだ、軍事訓練をさせる教練やら兵営みたいなものだ的指摘があったようだけど、指摘の通り軍隊における教練周りも結局のところ、学校教育のそれと軸の部分は同じで、いわば職業訓練学校なり高専みたいなもの。対象となる職業が技術周りなのか、軍人なのかの違い。そして気が付いていない人も多いけれど、軍の兵隊にしても士官にしても、相応の技術を有する、求められる技術者に違いない。赤紙1枚で徴収して小銃とヘルメット持たせて前線にけり出す的なイメージをしていたら大間違い。

先日も財務省が「大学の授業料ボンガボンガ上げて高い方に水準化しようぜ」的な話で間接的に「行けない人は行けなくていいじゃん」的な話をしていたけれど。まぁ、具体的にどれだけの実数が上がっているかは不明だけど、中高生レベルの授業内容による基礎学習のやり直しが必要となる大学ってのは必要性が疑問視されるのは当然だってのは理解できる。第一どうやってそんな人が受験をパスできたのかな(定員割れしていて全員合格とか?)。ただ、大学が大学らしいことやってないじゃんってのなら、試験精査の厳密性を上げるようにすれば......ってそれが国公立の大学入試センター試験なのか。


この辺の話はある意味、例の「ゆとり教育」と軸的に近しい感じはする。しっかりとしたガイドラインを大人が示すことに対し、それは軍隊みたいなものだ、もっと自由奔放に......という、それもまた一部の大人の視点で振り回され、多くの子供の未来が半ば棒に振られてしまった気がする。ひとりひとりの親がすべてしっかりとした教育を子供に施せる事が出来れば学校など必要ないのだけれど、それは不可能ではあるし効率は悪い。しかも集団生活という社会で生きていくうえで欠かせない習性を身につける場が無くなる。教育というシステムは非常に良くできた、効率的な体系に他ならない。

「学校教育が軍事と似てる」なんて戯言をドヤ顔で語られたら、「それが何か?」とツッコミ返すのが一番無難なんだろうな。何しろ社会は戦場だ。ライバルに打ち勝つだけの技術を習得していなければ、簡単に流されてしまう。「戦場、良くない」と語る人にお子様がいたら、その子供に試験の点数について、一言でも小言をいったことは無いのですよね? と聞いてみたらどうなるのだろうか。

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このページは、不破雷蔵が2015年5月24日 08:09に書いた記事です。

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