「雑誌の頃は1本だいたい5万円とか10万円だったのが(略)ネットで原稿料1本1万円とか、最近は1本2000円とか1000円とか、下手すると500円とか、すごい赤字になってきていて」│佐々木俊尚氏が語った、いまメディアに必要な仕組みとは http://t.co/HqkzJwhSJc
— 北条かや (@kaya8823) 2015, 5月 27
確かに、署名記事でもウェブライターの原稿料は安いです。でも手を抜くことはできないし、そもそも「自分の考え」を広く読んでもらいたくてウェブライターになったので、原稿料に文句を言える権利はないような気がしてしまう。今、必死です。http://t.co/HqkzJwhSJc
— 北条かや (@kaya8823) 2015, 5月 27
ウェブライターの原稿料が1万円とか5000円とか、ヘタすると500円という話の続き。それで生活していこうとすると、どうしても「本数」で稼がないと...という発想になります。早く仕上げなきゃ...と焦って誤字をしてしまったり、編集側さえ、それを指摘する余裕がなかったり。反省することばかりだ
— 北条かや (@kaya8823) 2015, 5月 27
デジタルメディアの普及と技術進歩は、情報発信のハードルを下げ、表現技術を底上げし、多くの人に意志の発信を可能とさせた。戯言すら、踊って歌った様子を映像として撮り公開するだけで、数百万人の目に触れ、それが元で一躍有名人になれるチャンスだって皆無では無い。
同時にコンテンツが山ほど市場に放り込まれる状況は、個々の見た目の価値を押し下げる、少なくともおチープ(※)なものに見えさせる効果も生み出している。原稿用紙にペン書きされた原稿も、スクリーントーンを貼られてていねいに描かれた漫画原稿も、デジタルデータとして掲載・提出される文章記事やウェブ漫画も、工程的には、投入されたリソースにはさほど変わりはないのに、評価としての対価はどんどん下げられる。
とりあえず物書きやらなくても死なない物書きがまず、「その値段では書きません」という声を上げるしかないよぬ。「他に生活の糧があるので値段はいくらでも構いません」では結局業界の首を絞める
— ユーリィ・イズムィコ (@CCCP1917) 2015, 5月 27
先日もお金と、創作物への対価の話で触れたけれど、お金の支払いってのはその作品への評価と共に、支払い先への投資にもつながる。受け取った対価で暮らしていける、安定した生活ができるとの確証が無ければ、元々資財が無いひとで無ければ副業をして生活をまかなうか、その創作をあきらめなければならなくなる。これはアルバイト感覚で文章やイラストを書いている人が相場を下げるのでは、との話にもつながるかな。
ただこのような話をすると、単純に需給の関係が働いていると思う人からはこんな話も出てくる。けど、実情はさほど甘くは無い。
@CCCP1917 原稿料が低くて困るなら物書き辞めたら良い。書く人が見つからなければ上げるしか無いのだから。需要と供給。雑魚が辞めれば残るのは精鋭だけになるし、読者もゴミに当たるリスクが下がって良い。
— kamemura2 (@kamemura2) 2015, 5月 27
と思うじゃろ。現実にはもっと安くそれっぽい埋め草を書いてくれる人を見つけてくるだけなんじゃよ
— ユーリィ・イズムィコ (@CCCP1917) 2015, 5月 27
物書き業界ではワナビ力学が美しい需給の力学に優越するんじゃ
— ユーリィ・イズムィコ (@CCCP1917) 2015, 5月 27
「雑魚が辞めれば残るのは精鋭だけ」ってすごいイメージだなあ。こういう淘汰圧かけるとたいてい同じ結論に落ち着くんだけど、報酬下げると商売が成り立たなくなるのはちゃんと手間かけて仕事してる人からなわけ。そうでないなら無給(いっそ有償)で仕事させれば最高のクオリティになるはずじゃん?
— シュネーヴァイス (@5chneewei55) 2015, 5月 27
「ワナビ」ってのはカンガルーみたいな動物のことではなく、同人系でよく使われる俗語のことで、元々はI want to beなんちゃらという英語の「私はなんちゃらになりたい」との表現の省略形「wannabe(ワナビー)」からのもの。その対象になりたいと思っている、憧れている人のことを指すのだけど、概して嘲笑的に使われている。
それなりの品質を提供する創作者にそれなりの対価を渡さないようにすると、当然そこには穴が開いてしまい、本来ならば相応の力量と対価要求をする別の人が収まることになる。しかしその創作物の品質と、媒体全体の評価は往々にして完全連動する訳ではないので、まぁ穴埋め的なものでもいいか、代替役でもいいや的なものとなってしまう。で、その代替役としてワナビー的な存在が山ほどあるので......という話。ネットが普及してそのような属性にある人たちは山ほど容易にチェックできるので、穴埋めには事欠かない。
例えばジャンプにおけるワンピースやナルトレベルになれば話は別だけどね。それより下の部類となると、元々商用紙などは複数作品の集合体によるものだから、個々の影響力はあまり計算としては計上されない。この人そこそこ良い作品挙げて来るんだけど、単価が高いので、値上げを要求してきたので、もっと安く使いまわせる別の人にしてしまおう。てな話。
要は純粋に需給の法則に従いバランスが採れるようになるには、雑誌をはじめとした複数作品の集合体においては、よほど著名で無いと難しい、容易に代替が取られてしまう、だからどんどん「もっと安い、もっとコスパの良いものを」の力学が働く。さらにはネット媒体ではそのハードルが低いので加速度的にバナナのたたき売り状態となる。まぁ、何となく理解は出来る。
このまま放置しておくのも、仕組みそのものを順守するのならそれはそれで良し。ただ、昨今の状況においては、実はあまり良いモノとはいえない、少なくとも全体としての質の管理の上では首を傾げる状態となっているのも事実。紙媒体の新聞や雑誌が良い例。個別の作品の評価がきちんとなされて、その個別の評価に対して対価が発生するような、それでいて集合体としての価値が活かされるような仕組みが求められているような気がする......
......ってそれ、今の電子書籍というかウェブコミックやら投稿型の小説サイトが近いのかな。「評価」っても色々で、アクセスだけだったら釣り的記事、インパクトの強い内容的なイエロージャーナリズムとなりかねないからそれはそれで問題であるし、評価をどのように対価に連動させるかも、考えるべきことは多い。まだまだ知恵の切り回しが必要だってことだな。
もっとも、優良なコンテンツを作る能力があれば、どのような仕組みの中でも適応させられる、はず、なんだけどなあ。
※「おチープ」......チープ、廉価なもの、安物を意味するCheapにあえて皮肉交じりで「お」をつけてていねいに語ったネットスラングで、タイプミスや変換ミスではありません。
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