「宣伝になるよ」って言ってノーギャラで仕事頼んでくる人にしみじみ言いたいけど「大した宣伝になってないよ!」...しかも本当に宣伝になるほど宣伝力のある媒体なら、ささやかでもギャラぐらい絶対出せるでしょ...。最低限のギャラも捻出できないような体力のない媒体に載せて何の宣伝になるんだよ...。
— 中村珍 (@nakamura_ching) 2015, 5月 26
これまでにも何度か解説したけれど、デジタルコンテンツにおいて顕著な、コンテンツの買い叩き事案。極めて廉価、あるいは無報酬での仕事の依頼をしてくる場合、その多くはこの指摘のような「宣伝になるから」、あるいは公的目的や事前目的によるボランティアのようなものでというもの。後者も結局、箔がつくからという大義名分のもと、前者と連動するので、結局は同じようなものなのかな。まぁ善意周りの話は色々と思惑もあるので、一概には言えないけれど。
でもよく考えてみれば指摘の通り、提供される労働、コンテンツに対し、十分な報酬を呈示できないような状態のところが、果たして相応の宣伝力を持っているのだろうか。指摘の通りよく考えてみれば、ぐうの音も出ない。
本当はそれだけの宣伝力が無いから報酬も出せない、でもそれだと依頼が出来ないので、宣伝力があるように振る舞う。これが一つ。もう一つは相応の宣伝力があり、報酬を出せる余裕もあるのだけど、ケチって、あるいはコスト削減を果たして自らの戦果とするために、あえて値切る、あるいはノーギャラを提示すると(同じ生成物を仕上げるのなら、コストを低く抑えた方が評価されるのは当然の話)。
あるいは......宣伝力と媒体が得ている収益に差が出ている可能性もある。それが業界全体の悪しき構造となっているのか、それとも特定企業の問題点なのかは分からないけれど。
ともあれ。一時期流行った、そして今でも関連話をあまり耳にしていない人が乗ってしまいがちな「ノーギャラだけど宣伝になるから」というのは、よほど特殊な事例で無い限りは、目を向けないのが得策。それぐらいなら自前のブログなりツイッターなりで掲載して披露した方がよほど良い。情報の発信、分散が限定的だった昔なら、宣伝になるからってのもある程度通用した話ではあるけど、今は状況が違うからね。
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