辻元氏、久々の「ソーリ節」首相、いらだち隠さぬ一言 http://t.co/y7uP4ccl9p
この人の質疑を聞いているとつくづく「頭の悪い人なんだな」と思う。
ヤジは良くないけど早く質問しろと言った首相の気持ちはすごく理解できる。 pic.twitter.com/TItMoznykq
— A.Matsuo (@e_stepmm) 2015, 5月 29
そしてそれを伝える朝日新聞の記事のタブロイド紙的な文面にも頭を抱える当職であった。「クオリティペーパー」、ねぇ...... http://t.co/fgndPNhRGN
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 5月 31
先日の国会内での発言問題と、それを伝える朝日新聞の文面。それぞれについて色々ともにょるところがあったけれど、そのものの精査はさておくとして。これらの話から色々と思ったことを。
これらのやり取りなり伝え方を交渉術だから、報道の手法だから仕方がない、むしろ賛美すべきだとの意見もある。一部の報道記者にも見受けられる、そして何度か言及した記憶もあるのだけれど(【「誠意を尽くしても分からないものは排除してしまえ」と戦争行為の境界線】とかね)、「相手を怒らせて感情を高ぶらせて語らせれば、それは本音だから、本音を引き出した者の勝ち」っての、おかしな考えでは無いのかな。それを交渉術として肯定する人に対し、どれだけの人が信頼を寄せるのだろうか。
怒ったことで語られる言葉が本音だとしても、それはその人の心情、本質のすべてを示した本音なのかな、と。その一部に過ぎないであろう部分を「本質だ、実体だ」と評されるのはどうなんだろうなあ、と。
@Fuwarin 膝蓋腱反射みたいなものもあるんじゃないかなと>怒らせたことで語られる言葉
— やらか堂@ままならねーです (@yarakado) 2015, 5月 31
「膝蓋腱反射」ってのは生理的現象の一つみたいなもので、「太い骨格筋につながる腱を、筋が弛緩した状態で軽く伸ばし、ハンマーで叩く。すると、一瞬遅れて筋が不随意に収縮する」というもの。確かにそれに近いものがあるのかもしれない。
一般論ですが、M日新聞大阪社会部系と、最近の有象無象出席の会見に多いような気がします。同社の経済は落ち着いた紳士が多いですが組織文化かな...。東京の企業会見は長いだけで静かなのですが、最近、素人記者さんが増えて、そういう傾向増加 https://t.co/bmwk1lUAnD
— 石井孝明 (@ishiitakaaki) 2015, 5月 31
@ishiitakaaki @Fuwarin 国会にも多数棲息...
— みつうろこ (@m_uroko) 2015, 5月 31
今件トリガー的な話は国会議員だけれど、新聞記者にもそのような事案は確かにある......というか報道全般か。テレビにおけるニュース報道の芸能化の背景に、報道部局と芸能部局における人材のミックス化があるという話をしたけれど、それも一因かもしれない。数不足、質不足による平坦化で、ますます全体的な劣化が進む。
日本の様な自由な国で、首相を敢えてキレさせるまでやらしい質問をする野党議員や記者とか、迷惑を顧みず反原発デモとかをする非常識な連中は高度に認められた表現の自由に甘えてるだけとも言える。
— ボヴ (@cornwallcapital) 2015, 5月 31
そしてぶち撒けられた「ホンネ」を編集して切り貼りして出荷するまでが最近の交渉術のトレンド。
信頼出来ないモノが、更に信用できなくなった。
https://t.co/PYHbmSMeLm
— ミネタク(峯沢琢也) (@takuya_minezawa) 2015, 5月 31
@Fuwarin 記者ならまだしも国会内で揚げ足取り、怒号、延々と続く神学論争。野党は何も変わってないしこれからも変わることはないのでしょうね。それを面白おかしく報じるだけで肝心の法案の中身を一切伝えないメディアも万死に値しますが。
— たぢ (@Tadikko) 2015, 5月 31
直上の「誠意を尽くしても分からないものは排除してしまえ」云々でも触れたけれど、各種挙動に関して、それがさまざまな媒体でリアルに伝えられることで、周囲が賛美称賛してくれると思っているのだとすれば、それはそれで質の劣化が著しいのを認識する必要があるのかもしれない。あるいは宗教的なスパイラルにはまりこんで、羞恥心すらかなぐりすてられる状態にあるとか。指摘の通り、メディア側がしっかりと実情を伝えていれば、それが恥ずかしい行為であることが周知され、やるべきでは無いなという自制が働くはずなんだけどね。
冒頭の「やりとり」に戻るけど。あれを交渉術として評価するのなら、その評価自身微妙に軸がずれているとしか思えない。交渉術の手法としては存在するかもしれないけれど、その使い手に、使う状況に誠意が無ければ、その交渉術は単なる嫌味の体現化でしかない。そして誠意の無い交渉術を武器のように振り回していると、必ず同じような目に他人からあわされる。それを果たして、かの人たちは認識してるのだろうか。
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