目の前にある創生物の背景にあるもの、材料そのものだけでなく、時間や技術、そして

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本家サイトでも【自分の目の前にあるものがすべてではないことを知る】をはじめ何度となく語っては居るのだけど、定期的にこの類の話が多様な方面で出てくるってのは、根本的な部分で問題の解消がなされていないのだろうな、という事案。

特に量産品では無く創作系の色合いが強い、いわゆるクリエイター関連の物品については、それを生成する人の支えとなるものが必要。原材料とちょいとした手間賃程度で値打ちを決められたのでは、誰も新たな創作をしなくなってしまう......というか出来なくなる。例えるなら、用意された環境下で単に書かれてある文字をタイプしていくのと、一から短編小説を書きあげるのとの違いみたいなもの(もちろん文字起こしやテキスト化には、相応の技術が必要には違いないけれど)。出来上がった小説に「1文字当たりで単価を計算する」とか言われたら、頭が沸騰するに違いない。


モノの値段の設定の仕方とか、量産の必要性とメリットとか、経済の基本部分ってのは、社会の構造を認識しておく上で、大人になってから頓珍漢なツッコミをして恥をかかないためにも、ある程度まとめて早いうちに学習させておくべきってのは同意。お金周りの概念と合わせ、金融経済学的なものとして、新規に教科を設けても良いぐらい。あるいは半公的な資格を設立して、小中学生、よくて高校生ぐらいまでに取得を奨励し、大学受験や就職にも有利になるかも......的な雰囲気を作るとかね。そうすれば、ニュースなどでデタラメなことが語られても、早いうちから「何無茶苦茶なこといってんの?」と突っ込めるようになる。

一方、モノの作り方のプロセスを最近見る機会が無くなってきたのも事実。それは世の中が便利になってきたから、苦労せずにいつでも完成品、成果物のみを見て取れるからに違いないのだけど、それは同時に何でも空から降ってくるみたいな誤解を、深層心理部分で刻ませてることにもなるんじゃないかなあ、という気はする。フリーミアム的な考え方もそれにつながるのかな。

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このページは、不破雷蔵が2015年6月 4日 07:55に書いた記事です。

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