チャラポ先生が研修医指導の悩みを語る。でもさ、若い子達が「言われたことしかしない」って言うけど、あの子達言われたこと以外は「しなくていい」と思ってるんじゃなくて「しちゃいけない」って思ってんだよ。しちゃいけないことをしたら「間違い」にカウントされる、間違いは「失敗」だと思ってる。
— えぼりヨネ子 (@eboli_ef) 2015, 6月 6
先日の【ミスは必ず発生するとの前提で物事を考える、さもなくば破たんする】にもあるように、日本年金機構のトラブルに絡み、ヒューマンエラーの話につながり、それが若年層の柔軟性の欠乏に見えるような動きに話が展開している昨今。...ではあるのだけど、それってモノの見方の一局面でしかないのだよね。なぜそのように見える行動性向が見られるのか、そこまで考えねばならない。その視点にまつわる話。
子どもの頃から学校で「授業で教わってない字を書いた」「掛け算の順番が言った通りじゃない」といってはバツつけられてきてんの、答えは間違ってなくても。そんな子達が自分の考えで手を出すと思う?たとえ結果オーライだったとしても「間違い」に自分から手を出すと思う?って言ったんですが。
— えぼりヨネ子 (@eboli_ef) 2015, 6月 6
なによりあの子らは「失敗」すればそこで終了だと思ってんですよ。そりゃ避けるわw こっちが教えなきゃいけないのはこと細かく「やっていいこと」を説明して納得させることじゃなくて「失敗」の後の対処のしかたじゃね?
— えぼりヨネ子 (@eboli_ef) 2015, 6月 6
今件はあくまでも看護師に係わる事例で語られているけれど、それに限らず全般的にも言えること。全体を一度に一定水準にまで押し上げるには、決まったルールに従うことを教えるのが一番面倒がない。個々のイレギュラー的な動きに対応していては、いくらリソースがあっても足りない。一方で、その簡便さに惚れこんで、すべてをそれに任せてしまうと、それこそ焼きまんじゅうか何かの量産工場状態となる。あるいは卵の選別工場でも良い。ちょっと基準から外れると、すぐに除外=社会の流れから外される。そのリスクを考えると、とてもじゃないけど、レールの上に乗ってただ先に進む以外のことは出来なくなる。
基本は応用やトライ&エラーを正しく行うためには欠かせないものだけれど、全部が全部基本だけでは、判を押したような造形しか生まれない。
昔はその「失敗」の後の対処もその場で当たって体で覚えてたんだろうけど、そんなん簡単に経験できることやないでしょ?しかも効率悪いし運が悪けりゃ人が死ぬし。だからこっちが今までした「失敗」や「怖い思い」をちゃんと想像しやすい形で語って聞かせてイメトレやらせんねん、看護そうしてる。
— えぼりヨネ子 (@eboli_ef) 2015, 6月 6
日本は敗者復活の機会がないから「失敗」がそのまま脱落につながるんで極端に失敗を避けようとする、っていうけどなー。失敗の後はあるのよ、敗者復活の機会だってある。だけどよく見てると「お前の出る敗者復活戦はそれじゃねえ」って人が多い。要は「何で負けたかわかってない」
— えぼりヨネ子 (@eboli_ef) 2015, 6月 6
それはずっと「失敗しない」ことに意識を向けてきた結果かもしれん。いざ失敗したら理由がわかんないっていうより失敗したこと自体が理解できてないのな。だから見当違いのところで取り返そうとしてどんどん負けだけがかさんでいく。だから終了になっちゃう。
— えぼりヨネ子 (@eboli_ef) 2015, 6月 6
看護師結構な割合でどうしようもないアホが混じってるから、怖い経験や失敗の話しても「でもそれって、ほとんどありえない話ですよねっ」とか「この病棟では○○(疾患名)なんかみないから、関係ないですよねっ」って最初から「その失敗は自分は絶対しない」ってシャットアウトするのいるけどなw
— えぼりヨネ子 (@eboli_ef) 2015, 6月 6
でもチャラポ先生は自分が日本では絶対当たらない怖い話をわたしがしてもちゃんと「怖い」として覚えてるでしょ?我々どんなありえない一例報告でも「もしかして」の想定の範囲としてどっか頭の隅に置いとくよね?それができるとできないでどれだけ判断の差が出るか、ってことで。
— えぼりヨネ子 (@eboli_ef) 2015, 6月 6
現場で実体験して失敗から学んでもらえれば一番なのだけれど、それではゴロゴロ屍が出来てしまう。そこで、人は過去の経験を情報化して学びとるという知恵を得たわけだ。もちろん他人の経験を情報として習得しても、それは自分自身の経験による習得と比べれば随分と薄いものになるけれど、ゼロよりははるかにリスクを低減できる。
そしてこれは防災と減災の話につながるのだけど、どうも色々な方面で、All or Nothing、
ゼロか一か、防災的な話が先行してしまい、リスクが体現化したあとの対応がおろそかになっている感はある。いや、下手するとリスクの体現した時の状況と対応などを考察しようものなら「リスク体現を前提としているのか」とノイジークレーマーが棒を振り回して殴りかかってくる。思い当たる節はあちこちにあるでしょ? 要はダメージコントロールを良しとしない風潮が形成されている。これでは失敗した時の採るべき選択が上手くできなくても仕方がない。だって学んでいないのだから、なにしろ学ばせてくれないのだから。
まぁ、この辺りは民族性......というか社会性の部分もあるんだろうけど。減災、ダメコン、リスクコントロール的な発想、例えば期待値計算とかを、概念レベルから学ばせる・学ぶ必要が
あるのではないかな。そして、どのような状況でも一定率で存在する、「ダメコンなど不遜だ、失敗を前提とする考え方などふとどきだ」とする傍論に、「ふとどきはお前だ」と反論出来て、抑え込める環境づくりが必要なのだろう。
「若者は柔軟性が欠ける、言われたことしかしない」との揶揄も、それを語る人たち自身の責任が多分にあること。それを知ってもらうのが一番最初に求めれることなんだろう。
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