体現化能力とワープロなどのデジタル機器の素晴らしさ

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心理学・精神学的にはもっと別の、詳しい話になるのだろうし、天才的な能力を発揮した画家の中には、普通の人とモノの見え方・とらえ方が違っていたとの説にもつながるところがあるけれど、ちょいと気になったので。実のところ当方も、二つの視点で共通認識を覚えている。

一つは絵の下手さ。他人の絵を見たり色々と考査するのは好きで、だからこそ四コマ漫画も色々とチェックをしているし、ネット上の絵も色々と楽しんでいるけれど、他人の絵をトレースしたり、頭の中に思い浮かべた絵を自分の手で描き記すのが非常に苦手。元々文字が極端に下手だったってのもあり、そこから派生した部分もあるかもしれないけど、とにかく頭のイメージを図にするのが難儀しまくり状態。絵が描ける人への素直な憧れと尊敬は限りなく、そして「脳内イメージをそのままトレースできるような未来がくればいいのになあ」とすら思った次第。パターン認知の問題なのかな。

もう一つはワープロソフトへの感謝。自分の文字の下手さ、思っていることの体現化の難儀さってのは文字にも結構あって、頭の中には色々と思い浮かべるけれど、それを鉛筆などで紙に書くのはあまり得意ではない。覚え書き的なものになってしまう。それがワープロソフトと出会うとこで、思ったことをそれこそ脳内の考えとほぼ連動し、リアルタイムで文字にしたためられるようになった。しかも自分の汚い文字を見る必要が無い(笑)。語り言葉的なものの文字列なので校正もやたらと必要になるけれど、その点でもワープロソフトは便利。カット&ペースト、行間への追加、段落の差し換え、神の所業に等しい。

そういう想いをしている人は、結構いるかもしれない。ただ、そういう状況が有り得ることを知らない、さらには自分がそうであることを分からず、単に劣っているだけだと思い込んでいるかもしれない。だから、自分にあった、自分の内なるものを体現化できる道具との出会いは、人生すら大きく変える。子供の時にその運命の出会いをしていれば、もっともっと大きな可能性が開けるかもしれない。


読みと書きの得手不得手も良い例だし、例えば病気で発声に難儀するようになっても、あるいはあがり症でなかなか言葉が出てこなくても、ネット上でなら問題なく発言は出来るし、文筆も可能であるし、論文すらしたためられる。技術の進歩によって色々な賛否両論は出て来るけれど、少なくとも表現の手法が、選択肢が増えたことは、素直に喜ぶべきだろう。その選択肢と出会えれば、埋もれていた才能を、可能性を、未来を花開かせることができるのだから。

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このページは、不破雷蔵が2015年6月 8日 08:05に書いた記事です。

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