元々、SNSは情報収集を目的として始めたものだから(震災直後の安否情報など)、ツイッターで目立とうとか承認欲求を満たそうなどという人の立場がよくわからないままだった。情報を集め、必要があれば実際にその人と会うことを前提にすると、炎上商法や暴言などは論外じゃないかと思っていた。
— 佐藤賢一の中の人 (@ke_1sato) 2015, 6月 10
そういう実利追求と個人的なコミュニケーションが一気に展開してカオスになってしまったのが、震災直後のSNSの場だったのかもしれない。情報を求めるあまりにとんでもないデマや誤情報に飛び付く人、過剰なまでの支援願望等々。このあたりに由来するのかも。
— 佐藤賢一の中の人 (@ke_1sato) 2015, 6月 10
SNS=ソーシャルネットワークシステム(ソーシャルメディアとほぼ同義)とあるけれど、実質的にここで指しているのはツイッターのことで、確かに指摘の通り、日本においては先の震災が一つの普及浸透のトリガーだったことに違いは無い。リアルタイムで流れる人のつぶやき、非常にハードルの低いコミュニケーションツール、シンプルなインターフェイス。日本で流行っていたmixiなどとはまったく異質のツールとして、あっという間に周知された。
で、炎上商法とか暴言なんてのは、実のところはブログや掲示板、mixiでもごく普通に展開されていたことで、ツイッターでも同じようなことが増殖されるのは当然の成り行き。ただ、震災によって「ちょっとテクノロジーっぽいコミュニケーションツール」だったのが「ケータイやスマホからも手軽に出来る、なんだか未来っぽいツール」的な認識となり、利用者の初心者率が高まり、状況が変わっていったことは否めない。インターネット上のコミュニケーション、情報収集に係わる暗黙の了解や基礎知識的なものが十分習得できていない人が多数ダイブしたことで、ずっと人里離れた村で生活してきた人が、突然町のど真ん中に放り出され、詐欺的勧誘に惑わされる的な状況。そしてそれを目ざとく知った山師も、カモとネギをゲットするために多数やってきた次第。あるいは活動を活性化した。
震災前まで、ほとんど無視されていたような妄想癖のアカウントが、震災直後ににわかに脚光を浴びたように見えたのも、そういうSNS初心者が殺到したからなんだろうなあ、と。そうなってしまうと、なかなかデマや妄想の撲滅は難しい。
— 佐藤賢一の中の人 (@ke_1sato) 2015, 6月 10
これは一理はあるけど、それがすべてでは無い感はある。確かに初心者が増えたのも一因。同時に利用者が増え、情報の拡散スピードが累乗的に跳ね上がり、ネタ系の情報は特に反復して広がるようになったのも大きな理由。とはいえ、デマや妄想の撲滅は難しいことに違いは無い。
ツイッターがあと何年SNSとしての有効性を維持するかは分からないが、他のサービスと同様に流行廃りの波にさらされている以上、このツールそのものに無理にこだわるのではなく、ここで得た情報資産、個人的人脈をスムーズに次の手段に移行させることをも考えておいた方が良いのかも。
— 佐藤賢一の中の人 (@ke_1sato) 2015, 6月 10
一方でこれはよく考えておかねば、といった指摘。ソーシャルメディアという大まかな仕切りのサービスは今後も続くだろうけれど、ツイッターという一つのシステムが永遠に続くわけでは無い。mixiだって2ちゃんねるだって、数年前は永遠に続くかのような盛隆を見せていたけれど、今では旧世代の、古のサービス扱いされている。あくまでもツールの一つでしかなく、そのツールが10年単位でずっと提供を保証されているわけでは無い。記録媒体のフロッピーディスクやMO、ZIPなどと同じかな。
情報資産はログなどで集積しておくことができるし、今件サイトのように再編集してまとめておくこともできる(実はそれもまた、今サイトの運用理由の一つ)。ただ人脈はそうもいかない。Facebookはさすがに10年やそこらで滅びることはないだろうし、ツイッターもこけそうになったらどこかが買収しちゃって継続されることだろう。でもいつなんどき、終焉を迎える可能性は想定しておいた方がいいんだろうな。
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